「職住隣接物語」というタイトルの意味~幼いころからの当たり前

「職住隣接物語」というタイトルの意味~幼いころからの当たり前
M's Profile

今回は、同じ建物内で仕事と生活の空間を分ける「職住隣接」を、人生後半戦のライフスタイルとして選ぶまで。

はじめに1

職住隣接と職住近接の似て非なる点とは

職住隣接と検索すると職住近接という職場と住居の距離が近いことを意味する語句ばかりがヒットする。どうやら「職住隣接」という用語は一般的ではないらしい。

現代では、仕事の場である職場と生活の場である住居が分かれているのが一般的で、この形態を「職住分離」という。また、自給自足のように仕事の場と生活の場が同一の場合を「職住一体」という。

「職住隣接」とは、一軒の中に職場スペースと住居スペースが分離している状態を意味する。いわゆる事務所付き住宅、店舗付き住宅が当てはまる。

または、SOHO(Small Office Home Office)と呼ばれる住居を意味する。要するに生活のための住居に独立した仕事スペースがあるイメージだ。

幼少のころから職住隣接で育つ

私は生まれた時から職住隣接であった。一軒の家に、祖母と親戚家族、そして私の家族が住んでいた。家には祖母と親戚家族が暮らすスペースと私の家族が住むスペース、そして店舗スペースがあった。

父も叔父も公務員だったのでそれぞれの役所に通勤していた。店舗は祖母か親戚が運営していたのだと思う。私の家族のスペースとと店舗スペースはと一枚の扉で仕切られていたが、その扉を開くことはなかった。

幼少のころから、仕事と生活は別であり、仕事の邪魔をしてはいけないとなんとなく教えられてきた。そのため、隣で仕事をしているときは騒いではいけないというルールがあった。

近所には私のように店舗や食堂、事務所や工場と一体となっている住居が普通にあったので、職場が隣りの部屋というのが当たり前だった。

小学校のころまで育った家だったが、祖母と親戚が引っ越したことで店舗は貸し部屋に改装された。この時の改装の様子を見て、家づくりに興味を持った。

職住隣接のはじまり

時は流れ、家は新築された。私が家を離れた後も両親はそこに住み続けた。年老いてからも、さらには介護が必要になってからも、両親は自分の家がいいと言って住み続けていた。

私は介護要員として白羽の矢が当たり、仕事をしながら介護を続けたが、仕事をする体力と気力は介護に奪われた。結果的に、介護と仕事の両立が難しくなり、仕事を辞めて自宅で可能な仕事に変えた。

職住隣接のはじまりである。

両親が住み続けていた家(以下、実家)は、玄関を挟んで右側に両親の生活スペース、左側に1部屋、2階に2部屋という間取りだった。この左側の1部屋が私の仕事スペースになった。(図解は省く)

介護はきつかった。両親がそれぞれ施設に入り、実家が空き家状態になった。人の住まない家は傷むというのは本当だった。夏は庭の世話、冬は除雪と、放っておくことはできなかった。

自分のために選んだ「職住隣接」とこれからのライフスタイル

両親の介護が終わり、実家の今後について考えていた時に、今度は私自身が体調を崩した。前書きにも書いた通り、ストレスが溜まりに溜まったことが災いしたのだろう。

これからの生活を考え、自分の家族とも相談し、いろいろな条件をクリアするように考えた結果、実家に1人で住むことにした。(詳細はプライベートのことなのでオープンにする気はない)

おりしも、独居老人、孤独死、新型コロナ禍などが、バズワードになりマスメディアを賑わしていたころである。家族の心配もわかったが自分の考えを主張させてもらった。

私がこれから生きていくために行わなければならないのは、「頑張らない、我慢しない、無理しない、リラックスした暮らし」である。そのためにひとり暮らしを選び、職住隣接を始めることにしたのである。

次回は「なぜ職住隣接を選んだのか」についてお話ししたいと思う。

職住隣接物語