なぜ職住隣接を選んだのか~私の経験を通して伝えたいこと
前回に続き、病気と介護で気づいた「時間の大切さ」。限られた時間を有効活用するため、職住隣接というライフスタイルを実践するまで。
日本中、世界中を旅行したかった・・病床での旅行計画
この物語(ブログ)は、私の職住隣接であり、読者の皆さんには当てはまらないかもしれない。私の経験が特殊なのではなく、誰もが同じような考えや生活をしているほうが不思議だと思う。
1970年代の終わりごろ、日本人が自らを「一億総中流」と表現していたことを、私はなんとなく覚えている。私はといえば、1年間の入院でヘロヘロになっていたころである。
学校を休学し、留年し、自宅療養を行っていた。薬の影響で集中力がなく、勉強などまったく手につかなかった。本を読もうとしても集中力がないのでなかなか読み続けることもできなかった。
そんな中、家で地図を眺めては、旅行計画を立てて過ごしていた。地元の地図を始め、日本全国、世界中の地図を見ながら、夢想していたのだ。
本屋へ出かけては旅行ガイドを立ち読みしていた。「地球の歩き方」を読み漁り、私にとってはやるせない時代だった。ただただ「地球の歩き方」が友だった。
諦めから始まった職住隣接、そして新たな人生の選択
大学生活も中盤に入り、就職活動という経験を私もすることになった。日本中、できれば世界中を旅しながら仕事ができる職業を選んで、30数社に応募資料を送ったが、ことごとく落ちた。
知人のコネを使って応募した、採用が確実だと思われた会社にさえ落ちてしまった。知人が不採用理由を打診したところ、健康上の理由だということがわかった。応募資料にあった既往歴と治療中の記載で門前払いになったらしい。
人生は終わった、と当時は思ったものだ。仕事と旅行を別に考えることにして、しばらくはアルバイト生活をしていた。アルバイトから正社員になることを勧められ、健康保険に釣られて入社した。
これが第二の人生の始まりであるが、職住隣接はまだ始まらなかった。当時は、「働く=稼ぐ」であり、特に仕事へのこだわりはなかった。
いずれは自分で仕事を始めるために、中小企業診断士や社労士などの資格取得のためにも学んだこともあった。ただ、勉強することには抵抗はなかったのだが、自分に向いている職業とは思えなかった。
そうこうしているうちに母が倒れた。若くして脳梗塞になり、半身麻痺になってしまったのだ。
職住隣接が人生の基盤になった「無駄な時間を省く」
こうして、あっけなく2度目の人生も転機を迎えることになり、20代後半にして介護生活が始まった。3度目の人生計画を練るにあたって、社会の仕組みや制度、国際情勢と未来予測に関する本を読み漁った。
そこで気づいたのは、「自分は他の人より使える時間が少ない」ということだった。好きな時間を補うには、「他の人の力を借りる、機械と道具を使いこなす、無駄な時間を省く」の3つに注力することにした。
無駄な時間を省く方法の1つが「移動時間を少なくする」である。移動時間を少なくするためには、移動しないか、移動時間を有効に使い他の時間に振り返るという2つの方法がある。
私が最初に取ったのが、「移動しない」である。つまり、職場と生活の場を極力近くする、すなわち「職住隣接」を始め、時間の節約と有効利用を追求するようになった。
もちろん、最初からうまくいくわけもないし、すべてのことが時間を基準にして働いたり、暮らしたりしているわけではない。私の唯一の贅沢は、何もしない時間を過ごすことだ。
次回は「物語」という名のブログを始めた理由についてお話ししたい。