高齢期の職住隣接~価値観を見直す新しい働き方と暮らし方

高齢期の職住隣接~価値観を見直す新しい働き方と暮らし方
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人生100年時代の高齢者はゆとりがあるのだろうか。人生後半戦の効率化を考えてこそ、ゆとりのある生活が可能になるのではないだろうか。

高齢期の職住隣接~価値観を見直す新しい働き方と暮らし方

高齢期とは何歳からなのか

高齢期とは何歳から始まるのだろうか?

65歳という数字が一般的だが、実際にはもっと早い段階から人生の新たなステージが始まると感じる人も多いのではないだろうか。日本のような超高齢社会では、65歳基準の見直しの動きもある。

この記事では、高齢期を50歳以上の中高年期も含めて考えている。この時期は、企業における役職定年と重なることが多く、職業能力がピークを迎える一方で転換点ともなる重要な時期である。

50代における環境変化は、すべての人に当てはまるわけではない。日本の組織構造上、多くの人々がこの時期に職業生活やキャリアの変化を経験することになる。

このような状況下では、転職や独立を選択肢として考える場合もあるが、高齢期での参入は競争が激しく(レッドオーシャン化)、必ずしも最適な選択肢とは言えない。

また、この時期は私生活においても大きな転換期となる。子育てや住宅ローンの返済が終わるなど、経済的負担が軽減される一方で、それを「ゆとり」と捉えるか、「人生後半戦の新たなステージ」として捉えるかは、本人の価値観次第となる。

一方、職業能力については経験や人脈を活かせる場面も存在するものの、定年や引退を見据えた将来設計が必要となる。特に自己評価と他者からの評価との間に乖離が生じる可能性についても考慮しなければならない。

ICT技術の発達によるデジタル化が進む以前は、経験や知識、技術を活かして高齢期の働き方を模索することが可能だった。現在では、デジタル化への適応力が求められ、それを受け入れられない場合には新しい働き方への適応が難しくなる現実も存在する。

自立した働き方と暮らし方を考える

人生100年時代の人生計画は、生まれてから死ぬまでを1つの期間として考えるには長過ぎる。人生後半戦になる前なら、いくつかのステージに分けて考えることもできただろう。

人生後半戦に差し掛かってから人生をいくつかに分けようとしても、残りの人生には限りがあることを前提として考えなければならない。そのためには、人生に対する考え方、生き方の転換を行う必要がある。

日本国内で残りの人生を送ることを前提にすると、経済成長よりも現在の経済の維持、社会の拡大よりも社会の縮小を余儀なくされる。これはなにも否定的な考え方をしているのではない。

小さな社会で経済力を維持できれば、1人当たりの経済力は大きくなると同じことになる。これを生産性を上げる、効率を上げるという方法論ではなく、むしろ発想や価値観そのものを転換することに目を向けなければならない。

このように経済と社会を実現し、さらに現状の日本の良さを保つためには、自立した働き方と暮らし方が必要になる。社会という集団で行うのではなく、個人で可能なことは個人で行うという自立が求められる。

人生後半戦の人生計画を新たにするということは、人生計画の目的や目標を変えなければならない。これらを変えずに方法論だけを新しくすることは、より人生後半戦の働き方と暮らし方を難しくすることになる。

能率を追求して得たゆとり社会

「仕事は職場で、生活は自宅で」という発想を変えることは簡単ではない。特に現場が中心となる仕事では、現場で行うことそのものに意味がある。

ICT化の発展や移動手段の効率化により、現場以外でも可能な仕事が増えてきている。高齢期には、現場仕事から職場仕事への移行という従来の考え方が、人手不足や高齢期の健康維持によって変化しつつある。

一方、自宅での生活に目を向けると、家電製品の自動化やロボット化が進み、家事労働は大幅に軽減されている。買い物もICT化や移動手段の改善によって格段に便利になり、外食や生活サービスの利用も広がっている。

これらの変化により、日本社会は諸外国と比べても効率的でゆとりある社会へと進化している。ただし、この効率性やゆとりは最初から目指されたものではない。生産、製造、流通など、あらゆる業務の改善を積み重ねた結果として実現されたものである。

そして、その成果をさらに活用するために人的サービスへと転換してきた経緯がある。言い換えれば、産業的なイノベーションへの人的投資が後回しにされてきたとも言えるだろう。

高齢期になり過去を振り返れば、このような変化や結果に納得する部分も多いかもしれない。

効率的でゆとりある社会の担い手

「効率的でゆとりある社会」へという背景から、「仕事はお金のため、生活のため、組織のため、社会のため」という考え方に、「自分のため」という視点を取り入れることが、職住隣接という発想の起点となっている。

同じように、生活についても「仕事、お金、組織、社会」に支えられているという受動的な考え方から、「自分で考え、自分で支える」という主対的な姿勢に変えることが可能になる。

すべての人が同じように「仕事は自分のため、生活は自分で考え支える」ということはできない。ただし、高齢期に入り経済的、時間的、人間的など、なんらかの「ゆとり」を感じられる人にとっては可能性は高い。

意志と自負

特に注目すべきは、「日本社会が諸外国と比べても効率的でゆとりある社会」であるという事実を築いてきたのは、現在高齢期を迎えている世代だという点である。

この世代が持つ、こうした意志と自負があれば、「仕事は自分のため」「生活は自分で考え支える」という新しい価値観を受け入れることも十分可能だろう。

もちろん、これまで「能率やゆとり」は与えられるものと考えてきた人にとっては、このような考え方はハードルが高いかもしれないが、不可能だというわけではない。

私はしばしば言われる「過去の経験や知識を活かす」や「新しい知識をみにつける」というような一般論には必ずしも賛同しない。しかし、「効率的でゆとりある社会」の担い手としての世代として敬意を払っている。

そして今、高齢期に入った人々が、この社会を維持し発展させるために何ができるかを主体的に考える時代になっている。

高齢期の職住隣接は「仕事の場」を作ることから

高齢期における職住隣接とは、仕事の「場」を変えることで、仕事と生活の現在から未来への転換を促すことを目指している。高齢期の仕事や生活は多岐にわたり、一言では言い表せないほど多様であるため、この提案もあくまで数ある方法の一つに過ぎない。

自宅内に独立した仕事の「場」を設けることは、物理的な空間だけでなく、経済面や人間関係にも影響を与える。しかし、それらの影響は必ずしも悪いものではなく、むしろ将来的に良い方向へと繋がる可能性がある。

例えば、これまで職場に行かなければ仕事ができなかった人が、自宅に仕事の「場」を設けることで新たな可能性を見出すかもしれない。それが副業への発展や引退後の新たな働き方につながる契機となることも考えられる。

また、仕事の「場」を作る過程で不要な家具や備蓄品を整理することで、自宅にゆとりあるスペースが生まれるかもしれない。そのスペースを家族のための「場」として活用することもできるだろう。

さらに、自宅内に仕事の「場」があることで、家族との時間配分や人間関係にも変化が生じる可能性がある。規則正しい生活リズムを維持しやすくなる点については、多くの人がその効果を実感するだろう。

もちろん、特定の人々に向けた特定の職住隣接モデルを示すことは難しい。しかし、このようなライフスタイルを選ぶ人が増えれば、情報交換や相互支援が進み、新たなコミュニティ形成につながる可能性も期待できる。

職住隣接物語