介護期の職住隣接 ~ 介護者の時間と要介護者の時間を大切に

介護期の職住隣接 ~ 介護者の時間と要介護者の時間を大切に
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介護は立場を変えて誰もが経験する人生の一部です。要介護者も介護者も、お互いを理解し合うことが望まれますが、これが難しいのが現実です。

人生には2つの介護期がある

人生には2つの介護期がある。1つは親の介護者となる期間、もう1つは自分が要介護者となる期間である。まず、親の介護について現実はどうなっているだろうか。

令和6年版高齢社会白書の「要介護者からみた主な介護者の続柄」によると、多い順に不詳(26%)、配偶者(22.9%)、事業者(15.7%)、子(16.2%)となっている。

この資料は令和4年の国民生活調査(厚生労働省)によるものだが、不詳が最も多い理由については明確な説明がない。要介護認定を受けながらも、ひとり暮らしのために介護者による介護を受けていない可能性もある。

配偶者、子を介護者の合計が42.2%であるので、多くは家族が介護者となっている。ただし、配偶者、子、事業者が協力して介護を行っているのが現状だろう。

高齢社会白書では、老々介護、家族介護者の負担、介護事業者の重要性を説き、今後も増え続ける要介護者についての懸念を著している。

3人に1人が高齢者になり、要介護者が増え、認知症を発症する要介護者もいる中で、介護保険だけでは賄えない実情があることを認識しなければならない。

介護者の負担が大きくなることで、社会全体が介護について対応しなければならないというのは容易だが、前記事で示した「子育て期」と合わせて考えると、すべての課題を社会全体で対応することは非現実的である。

人口構造からわかる介護の未来

少子高齢社会と言われて久しい。少子高齢化は単に子供が少ないという意味ではない。出生数が減少し、若年層の人口が減少することを意味する。現に2023年以降、50歳以下の年齢別人口は減少し続けている。

年金受給者と負担者の関係を表すときに、御神輿型、騎馬戦型、肩車型と表現することがある。

御神輿型高度成長期は皆で高齢者の年金を支える
騎馬戦型現在は3人で1人の高齢者の年金を支える
肩 車 型将来は2人で1人の高齢者の年金を支える

介護の場合はより深刻で、少子化で子供が1人、または子供がいない場合もあり、1人で両親2人の介護を行わなければならない事態が生じる。もしくは、家族でない人に介護を依頼することが多くなる。

すでに現在でもこのような介護環境が発生しており、ヤングケアラーや介護を受けない独居高齢者の存在が問題視されている。人口増加策や外国人労働者の活用といった解決策も考えられるが、要介護者の増加ペースには追いつかない可能性が高い。

要介護者と介護者の関係

では、将来に向けての介護をどのように考えていけばよいのだろうか。

介護には「介護者」と「要介護者」という立場がある。前述の御神輿型の時代は、介護者が要介護者よりはるかに多く、介護を行わなかったという人もいるだろう。

現在要介護者となっている人は、かつて介護経験がある人とない人、または同居家族内に要介護者がいたという経験をしていない人もいる。もちろん、家庭環境や社会福祉制度が異なるので単純比較はできない。

一方で、介護の実情を知っているかいないかは、自分が要介護者になったときの心理の違いに大きく表れてしまう。私の経験では、介護の実情を知らない人は、介護者に対して自分の要望を強く訴えてしまう傾向があるように思う。

近年まで、介護は家事の一部として考えられ、特別な知識を持たなくても、見よう見まねの経験値として扱われていた。このような考えでは、要介護者も介護者もお互いに初めての経験であることを認識していない。

介護問題は介護者の質や量の問題として考えられがちではあるが、要介護者が原因となる問題も存在する。このような時の対応については、これまでに語られることは少なかった。

要介護者の意識を変えるには

介護者が意識を変えるには、社会教育という方法がある。政府や自治体からの広報、マスコミや多様なメディアによる問題提起、民間による有償無償の教育体制が考えられる。

ところが、要介護者もしくは要介護者が多くなる世代には、このような方法は通用しない。したがって、介護予防の健康教室が開かれているが、受講する人ほど要介護とは縁遠い人であることが多い。

要介護者になる原因は、生活習慣病や持病の悪化が原因になることが多いことが研究結果として知られている。つまり、知識としては認識しているものの、介護予防への行動には消極的であることが見受けられる。

最近の高齢者は元気だとよく言われる。高齢者自身も、実年齢より若く感じている人が多い。しかしながら、高齢者自身も確実に年齢を重ね、要介護に近づいていることは認識しなければならない。

要介護になったからといって、できなくなることはあっても、違う方法で行うことができることもある。例えば、歩くことが不自由になっても、補助器具を使いながら歩いている人もいるし、車いすで日常を送っている人もいる。

介護も要介護も人生の一部として受け止めるためには、介護をよく知ることから始める必要がある。たとえ介護予防を行ったとしても、それは要介護になる時期を先延ばしにしていることに過ぎない。

介護予防を行うことは心理的な影響も期待でき、介護や介護者への意識を変える機会となるのではないだろうか。

QOLよりもWOLに向けての介護

要介護者に限らず、高齢者のQOLの低下についてが問題視され、サポートをどのように行うべきかが検討されている。特に要介護者のQOLの低下はADLとともにサポートの対象となっている。

QOL:Quality of LIFE、「生活の質」を意味することが多い
ADL:Activities of Daily Living、「日常生活動作」の意味

QOL:Quality of LIFE、「生活の質」を意味することが多い
ADL:Activities of Daily Living、「日常生活動作」の意味

生活の質を向上させることは意義があることではあるが、加齢による身体状況や認知状況によっては限界がある。要介護者のQOLのためにと思っていることが、実は負担になることもある。

QOLを「生活の質」にとどまらず、「生活・人生・生命の質(3つの質)」という考え方もあるが、要介護者には理解が難しいだろう。目の前のADLのほうが大切な気持ちはよくわかる。

また私の経験にはなるが、ADLや生活の質としてのQOLには限界がある。そこで、人生の質としてのQOLについて考え、両親の介護の末期はWOL(Well-being of Life:人生の幸福)を考えるようになった。

要介護者も介護者も、望んでその立場になったわけではない。互いに相手の気持ちを理解し合ったうえで、要介護者も介護者も介護という現実に取り組むことが互いのWOLを高めることにはなるだろう。

ICTなどのデジタルを使った介護

要介護者が増えることはわかっているので、介護の質と同時に介護の量についても考えなければならない。介護の量とは、介護者の人数を増やすだけでなく、介護者の作業を減らすことで、相対的な介護の量を増やすことが可能になる。

すでに、介護用ベッドや、要介護者の臥床、用便の検知など、多くの点で介護用機器が使われている。今後は近年のICTの発達やデジタル機器、AIによって、さらに普及することが予想されている。

ここで重要なのは要介護者と介護者のインタラクティブな関係を、デジタルを利用した機器にも反映させるべきだという考え方である。現状では見守りロボットや会話の相手、ペット型ロボなどが実用化されている。

介護用機器に要介護者の要望をヒアリングして反映させるのは難しい。そのため、事業者として働く専門職だけでなく、家族介護の経験者の要望を介護機器に反映させることを願っている。

要介護者になっても、このような経緯や努力を知り、自らデジタル機器を操作することで、介護者との関係性も良好に保てることを期待したい。

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