人生後半戦の再学習~自学自習のためのテクニック


私が行なっている「再学習」は、学び直し、リカレント教育、リスキリング、生涯学習とは、ちょっと違います。勉強嫌いでも自分が好きになる再学習とは?

自己更新と再学習
人生後半戦になると「自分の棚卸し」を勧める言説がある。特に転職や定年退職後の働き方と関連付けて説明されている。その内容を見聞きした限りでは、人生後半戦になったからでは遅いのである。
自分の過去から現在までを公私にわたり書き出し、また自分の長短所を見直そうというの主な内容である。これを一連の作業として、改めて人生のスタートとして役立てようという考え方だ。
このような考えを否定するわけではない。むしろ、人生後半戦をきっかけにして行うこともよいのだが、一生に1回だけ行うことでよいのだろうか。少なくとも数年に1回は行うべきだろう。
棚卸しを行う目的が「改めて人生のスタートとして役立てよう」ということであれば、どのような将来像をイメージすることが必要である。この目的に向けて棚卸しの内容を取捨選択する必要がある。
棚卸しは自己分析、選択は自己理解であり、次に行うのは自己管理である。自己管理とはToDoリストのようにできた、できなかったとチェックすることではなく、プロセスを管理することである。
このプロセス管理が自分を更新することであり、そのために必要なのが再学習である。
再学習とは学び直しではない
近年、リスキリングとリカレント教育という用語をよく目にするようになった。リスキリングとは既に身に付けているスキルを見直し、新しいスキルの習得を意味し、限定した範囲のスキルが対象となる。
リカレント教育とは、繰り返し教育を受ける循環型教育を意味する。教育の範囲は限定的ではなく、時代の変化に合わせた教育内容になる。リスキリングもリカレント教育も学び直しに含めることもある。
リスキリングとリカレント教育は、教育訓練という色合いが濃いものである。そのため、必ずしも自発的な学び直しにはつながらない。
私が必要だと考える「再学習」は、自学自習を基本にした考え方である。人生後半戦において、これまでの経験を新しい文脈で捉え直し、現代に適応させていく過程である。
従来の教育訓練的な「リスキリング」や「リカレント教育」とは異なり、自らの意思で進める主体的な学びである。さらに、短時間で効果的な変化を生み出すことを目指している。
自学自習とは
「自学」とは自ら学ぶ目的を見つけ、学び方も自分で見つけるというプロセスになる。「自習」とは自ら習得を心がけることで、ときには教えを請うこともあるという謙虚な姿勢を意味する。決して、手本通りに行う倣うという意味ではない。
再学習を行うときに心がけるべきことは、学習する対象が自分だけのために行うのか、それとも他者のためにもなるのかということの見極めである。どちらが良いということではなく、目的を明確にするためにも見極めは必要である。
再学習は年齢に関係なく行える
人生後半戦になるまでは年長者から学ぶことが多かったが、人生後半戦になると年少者から学ぶことが多くなる。この考え方の切り替えも忘れてはならない。
人生後半戦では、学びの方向性が大きく変化する。これまでは年長者から経験や知恵を学ぶことが中心だったが、テクノロジーの進化や社会の急速な変化により、むしろ年少者から新しい視点や方法を学ぶ機会が増えてくる。
この転換は、単なる世代間の知識の流れの変化ではなく、自らの経験を客観視し、新しい価値観や方法を受け入れる柔軟性を養うプロセスでもある。
経験と再学習
再学習を行うきっかけは人それぞれであるが、共通することもある。それは、年月が経過するにつれて、自分の能力も変われば、時代も変わるという現実に気づくということだ。
肉体面での能力、思考面での能力は、加齢とともに強くなる部分と弱くなる部分がある。経験は豊富になるが、その経験がこれからも役立つとは限らない。機械化、IT化、AI化による自動化が進めば、経験は限られた範囲でしか必要なくなる。
むしろ、新しい分野での経験が重視される。経験とは知識や技術の蓄積だけではなく、状況判断という要素が加わる。過去の状況を現在に当てはめても、それは役に立たない。老害と言われるのがオチである。
もうひとつ、再学習は復習とは異なることも認識しなければならない。過去に学習したことを、同じ手順で、同じ方法で、同じ内容を学ぶのが復習である。再学習は常に新しさを加えなければならない。
このように考えると再学習は、人生後半戦だからということではなく、今までの教育で得る知識や経験とは別のアプローチといえるだろう。
集中力をアップし、短時間学習を繰り返す
人生後半戦になって再学習を行うとあることに気づく。それは集中力が続かないということだ。体力や思考力が衰えたことが原因かもしれないが、他にも原因がある。
現代の私たちが生きている環境は、ありとあらゆる情報であふれている。テレビを見ればCMが入るし、番組中にもテロップがはいる。新聞には必要でない情報のほうが多い。とにかく広告という情報に囲まれているのが実態だ。
これらを排除するためには、学習する環境づくりが重要である。なにも自習室のような閉ざされた環境ではなく、学習の対象以外の要素を目や耳などに入らないようにし、常に同じ環境を保つことを考えるべきである。
もうひとつは、短時間の集中力を繰り返すという方法である。ポモドーロテクニックを使うのもよい。また、集中した後にアウトプットを行うことによって、集中力を結果として残すことができる。
ただし、集中力を増すサプリやカフェインなどを過度に摂取することはあまりお勧めしない。集中した後には、解放が必要である。つまりリフレッシュする方法も身に付けたほうが良い。
血行を促すためのストレッチ、気持ちを落ち着かせるためのマインドフルネス、他にも深遠な空気を吸うとか散歩に出かけるなど、自分なりの方法を見つけるべきだ。経験上ではあるが、集中後の飲酒は避けたほうが良いようだ。
「再学習」には何が必要で、どのように使うか
再学習を行う「なぜ?」は学習者自身が目指す目的になる。ここでは「何を、どのように」という点について、私が行なっていることを3つだけお話ししたい。
1.目と耳で読書、そして書く
読書による学習が最も集中できる方法である。私は電子書籍とオーディオブックを併用して聞き読みを行う。15分ほど聞いて、印象に残ったことをスマホで音声入力してメモを残す。アウトプットすることで記憶に定着し、モチベーションも上がる。
2.休憩が主で、集中を従に
ポモドーロテクニックを基本に、自分なりのリズムを見つけた。45分の集中と15分の休憩というサイクルである。ここで重要なのは、休憩を軸に考えることだ。休憩まであと何分と意識することで、より集中度が高まる。
3.学んだことはすぐ試す
学んだことは実践することで定着する。基本的なことはネットやAIで検索して確認し、実践的なことはすぐに試してみる。抽象的な内容は誰かに話してみる。アインシュタインが「シンプルに説明できないなら、十分に理解していない」と述べているように、説明することで自分の理解度がわかる。
