家族との時間の確保~ポスト核家族時代と変わる家族のかたち


家族との時間を大切にすることは、ポスト核家族時代においても重要です。変化する家族のかたちに、私も工夫しながら対応を心がけています。

家族関係の複雑性と変化
家族との時間はプライベートの時間である。家族経営で仕事をしている場合は、同じ人物との人間関係を仕事上と生活上で分けなければならないが、ここでは一般的な家族関係について考えてからお話しする。
家族との関係は、血縁となる親子関係と血縁ではない夫婦関係がある。夫婦関係は法的な婚姻関係と法的ではない事実婚がある。親子関係も養子縁組を行えば血縁がなくても法的には親子関係になる。
このような場合分けを行うと共通の認識で家族関係を考えるのは難しい。そこで、家族関係には開始はあるが、必ずしも終わりはないということを前提に考えてみたい。
特に夫婦と親子の関係は家族の基本構成になるが、年齢構成や居住形態(同居・別居)によっても異なる。その他にも経済的満足度や社会的地位なども異なるが、まずは年齢を居住から考えてみる。
年齢構成は肉体的成長と精神的成長の目安になる。日本では2018年に民法の改正により、成年年齢を20歳から18歳に引き下げられ、女性の婚姻適齢を16歳から18歳に引き上げられた。他にも携帯電話、クレジットカードなどの契約は親の同意が必要なくなった。
一方で、少年の事件を扱う少年法では、18歳、19歳は特定少年とされ、飲酒や喫煙、自動車免許などは20歳からと変更はされていない。これらは、時代が変わるとともに「大人」の意味することが変わるという証左である。
核家族世帯と単独世帯
核家族は英語で a nuclear family であり、a core familyとは言わない。nuclearとは最小単位の「核」を表し、coreは中心という意味の「核」である。核家族が家族の最小単位と考えられていた。
日本では、親族のみの核家族世帯が54.1%、単独世帯38.0%(2020年)となっている。2012年以降の人口減少と相まって単独世帯が増加し続けている。世帯の最小単位は核家族世帯ではなく、単独世帯とも言える。
このような実態から、家族は同居することが前提という考え方は徐々に崩れ始めている。第二次世界大戦前以前の世帯ごとの「家」から、世帯ではなく「個人」という考え方にこれからも変わっていくだろう。
所得税、健康保険、年金などは、世帯を基準にして成り立ってきた。しかし、基準となる世帯の状況が変われば、実態に合わせた制度に変える必要が出てきている。それが現在の税と福祉の現状である。
世帯の状況、すなわち家族構成の状況が変われば、家族のあり方も変わるのは自然の流れである。確かに、毎日家族で食事をとる習慣、茶の間で家族そろってテレビを見る習慣は少なくなっている。
むしろ、単独世帯の集合体のような生活を行っている核家族世帯が多いのではないだろうか。そのような形態だからと言って、家族の縁や愛情が薄れるわけではないだろう。
家族類型別一般世帯数および割合:1970~2020年(2022年版)
家族のあり方と共有すること
世帯構成の変化によって、核家族という集合体から単独生活を基準にした家族のあり方とはどのような変化があるのだろうか。実際には、仕事で、学校へと、家から離れた後は個々の生活を今でも送っている。
家族が共有するものは、家の中にある物理的なものである一方で、個人単位に所有しているものもある。最も大きな共有は、経済的な共有だろう。収入と支出を共有することの家族の意味は大きい。
ではなぜ収入と支出を共有するかというと、そこには家族だからという信頼関係があるからである。この信頼関係を継続させるものは、生まれた時からの親子関係に他ならないし、また婚姻関係でもある。
つまり、家族関係とは信頼関係に基づき、これを家族愛と表現することもある。言いかえれば、家族愛と同じような信頼関係を持つことができれば、形態は問わなくてもよいことになる。
近年、多様化という言葉で一括りにされている家族の形態は、本人同士の愛情という信頼関係で成立するので、家族の多様性は認められなければならない。
では、冒頭の家族の形態の基本的な考えとなっている年齢構成や居住形態で分類や集計は、実態を把握するだけで、家族形態の変化に対応する要素にはならない。
これからの家族のあり方と家族形態
1.核家族から個人へ
人生100年時代と言われている中、時代の変化も激しくVUCAの時代と表されている。このような時代に適応するには、家族単位よりも個人単位のほうが適応しやすい。
核家族世帯の減少と単独世帯の増加という現実を鑑みても、家族を個人の集合体として改めて考える必要がある。経済的、経験的、物的、知的などの家族のつながりは、従来の家族モデルの1つでしかない。
家族の構成に多様性を認めるように、家族の関係性、すなわち「つながり方」にも多様性を認めるようになるだろう。
2.同居から別居へ
家族が同居し同じ時間を過ごすことは、現在では少なくなっている。個人がそれぞれの時間を過ごし、家族と共有する時間も限られている。
家族と時間を共有して得られる価値は、他の方法でも得られる時代に変わっている。むしろ、経済的メリットだけを求めて同居を続けることのほうが問題視されている。
家族を中心にした社会は、すでに個人を中心とした社会に変わり、家族は所属するコミュニティの1つになっている。
3.家族関係からネットワークへ
家族のつながりを考えると、直接的な対面での会話をイメージする人が多い。このようなアナログの結びつきは必要ではあるが、時代はデジタル社会に移行している。
家族との結びつきをアナログな形式にこだわることが重要なのではなく、対面で感じる雰囲気や会話の内容が本質的に重要である。また、その重要性の尺度も個人によって異なることを理解する必要もある。
家族関係は「つながり」という言葉上の質感ではなく、ネットワークという実質的な関係性に変化すべきだろう。
物理的な世帯としての家族は「家族関係」に
私が職住隣接を実家で始めるときに悩んだのが家族についてである。ただ、それまでにも家族と過ごす時間は少なくなっていたし、どのように家族との関係を維持すべきかを考え実践してきた。
1.コミュニケーションアプリの利用
LINEが普及するまでは、家族間のコミュニケーションをAppleユーザーはFaceTimeとMessageで、Androidユーザーは電話とSMSを使っていた。今ではLINEをコミュニケーションツールとして使うことが多い。
1人1台という携帯電話からスマホへの普及は、コミュニケーションツールの普及に伴ってなくてはならない存在になっている。高齢の両親には写真は印刷して、メールは読んで聞かせていた。
電話やPCが一家に1台から、個人ひとりひとりに普及したことで、家族の関係頻度は増した。
2.写真・動画アプリの共有
文章でのコミュニケーションよりも、写真や動画を共有することでコミュニケーションが取れるようになったのも家族関係の密度も増した。
誤字脱字が多かったり、意味不明の言葉づかいより、直接的に意図や感情が伝わってくる。ただし、家族といえどもプライバシーに関わることは共有しないというルールは設けている。
時間と場所にとらわれないコミュニケーションや共有のおかげで、家族の関係性は途切れることはなかった。
3.定期的に食事をする楽しみ
LINEや写真アプリだけですべてが完結しているわけではない。月に一度、遠距離の家族は間隔が空くが、直接会って食事をする。2時間ほど、いろいろな話をして過ごす。
毎日、会って食事をしていたときよりも、家族が何を考えているかがわかるようになった。会うこと自体が楽しいのだが、悩み事や困り事についても話を聞いている。
家族が存在し続けることだけで価値があるのだが、家族との関係性にこそ本当の価値があると考えている。
私のマイルールには、「家族関係の時間を惜しまない」と書いてある。それはアナログだけでは無理だが、デジタルツールをファミリーメディアとして使うことで可能になっている。
