働く時間と休む時間の管理~人生後半戦の時間価値を上げるテクニック


働く時間と休む時間の価値を見直し、目的に合った時間の使い方が、健康と生産性を高める鍵となります。働くことと同じくらい休みも大切です。

時間にルーズを正しても意味はない
働く時間と休み時間に共通しているのが「時間」である。まず、時間に対する考え方から整理してみよう。1日24時間、1年365日が8760時間という考え方は世界共通である。
祝日や祭日が多くても、有給休暇が多くても、それは所属する国や組織の違いで、時間という考え方には影響しない。長年の文化的習慣や慣習も時間そのものには影響しない。
時間には開始と終了がある。1日の始まりは0時、終わりは24時(翌0時)である。1年の始まりはグレゴリオ暦では1月1日で、終わりは12月31日であるが、区切りは国や組織が決めることができる。
「時間にルーズ」とは、決められた時刻に開始、または終了しないことを意味するので、本来は時刻にルーズと言うべきだろう。時間にルーズとは約束した時間を守らないことである。
このような前提を正したとしても、日常の生活においても仕事においてもあまり意味はない。なぜなら、人は自分の都合の良いように時間を操ろうとするからである。
自分の時間と共通の時間の価値
時間の使い方は自分で決めることができる時間と、自分では決められない時間の使い方がある。一般的には、前者をプライベートな時間、後者をパブリックな時間と考える。
プライベートの時間でも友人と待ち合わせるときは、自分だけでは決められない。子育て、通院、介護など、人生後半戦でなくても身近な人間関係によって、プライベートな時間は埋められていく。
自分で決められる時間は、意識しなければ持つことは難しい。自分の時間を他の人と共有することを否定しているのではない。自分の時間を持つことを意識して行っているかという問いかけである。
日常の生活でも仕事中でも、突然の訪問や接触を試みてくる人を時間泥棒と揶揄する言い方がある。しかし、時間は盗むのではなく、時間の使い方の目的を変えようとするだけなのである。
時間は、使う目的があってはじめて時間としての価値が生まれる。プライベートでもパブリックでも同じである。特に目的のない時間を自由時間と考えるのは、時間の価値を考えていないのと同じである。
仕事時間と休憩時間を設定する目的
現在、私は自宅の一室で仕事をしている。生活スペースとは分離するようにしており、このライフスタイルを「職住分離」と称していることは、何度となく触れている。
場所の分離を行うことで、時間の分離を行うようにしているのには理由がある。私は心臓を患っているので、死ぬまでずっとリハビリ期間だと考えている。ハードワークはできないのだ。
自宅で、デスクワークをしているので肉体的なハードワークではないが、集中しすぎたり、継続して働くと血行が悪くなる。その結果、血圧が高くなったり、動悸が生じたりするのだ。
これを避けるために、定期的に休憩を入れて、心理的負担からリフレッシュしたり、血行が良くなるように体を動かすように心がけている。45分仕事、15分休憩、これが私のポモドーロパターンだ。
(※ポモドーロとは、作業25分と休憩5分の繰り返しで、集中力を維持し精神的疲れを防ぐ時間管理術)
これを実践するためには、自分の時間を確保し、時間の目的を明確に、開始と終了を守ることが重要になる。私の場合は時間管理術であり、健康管理術でもあるのだ。
時間当たりの労働生産性について
仕事と時間の関係を表す用語に「時間当たり労働生産性」というのがある。海外と比べて日本の労働生産性が低いと、たびたび指摘されるが、記事の冒頭にも書いたように文化的な違いは考慮されていない。
海外からの旅行者が増え、日本の良い印象の1つに、「優しい、おもてなし、他者への配慮」など、日本人特有の人間性があげられている。労働生産性の観点からは排除すべき事項であるにもかかわらずだ。
また、一方では、労働時間の長さや高齢の就業者が多いことも指摘している。これらは、自分の時間を自分で決めていない、決められないということから生じ、裏表の関係にある。
主体性がないから自分の時間を決められないのか、それとも他者を思う気持ちから自分の時間を決められないのかは結論は出せないが、少なくとも海外から見れば日本人の特性だということになる。
私自身は他者のことを考えない冷たい人間だと思われたくないので、自分の時間以外、他者との関係がある時間ではできるだけ配慮をするようにしている。
多くの日本人は、配慮することも自然であるかもしれないが、私は意識的に配慮している。どちらが良いと言うのではなく、偏らないように配慮していると言ったほうがよいかもしれない。
労働生産性と日本人の労働観
仕事と時間の関係を表す用語に「時間当たり労働生産性」がある。海外と比べて日本の労働生産性が低いとたびたび指摘されるが、その背景には「時間の使い方の目的」が考慮されていないことがある。
時間の使い方には文化や価値観が深く関わっている。日本では他者への配慮や調和を重視する傾向があり、それによって自分自身の時間を自由に使えない状況も生まれている。
このような考え方は一見非効率にも思えるが、一方で、人間関係や社会的つながりという観点から見ると大きな意義を持つ。それは時間という資源を誰のために、どのように活用するかということである。
自分で決める場合もあれば、他者や組織によって決められる場合もある。これは主体性の問題ではなく、自分自身の価値観や優先順位、さらには社会全体としての時間という考え方にも関わっている。
それは必ずしも労働生産性を最優先することではない。むしろ、自分自身の価値観に基づいた時間管理こそが、結果として社会全体にもポジティブな影響を与える可能性がある。
多くの場合、日本人は他者への配慮を自然なこととして受け入れている。しかし、それだけではなく、自分自身の時間についても意識的に選択し、その目的を明確にすることこそが重要である。
このような姿勢こそが、自分自身にとって価値ある時間とは何かを見極め、その目的に沿った使い方を意識的に選択することが求められるのではないだろうか。
働く時間と休む時間のマイルール
1.目的にあった時間の使い方を行う
時間は目的があって価値が生まれる。目的を持たない時間の過ごし方は浪費につながる。働く時間だけでなく、休む時間にも目的を持とう。体力や思考力の回復を目的とするならば、休む時間こそ効率的に使うべきだ。
私は前述の通り持病持ちなので、休む時間を中心に仕事時間を組み立てている。このように意識することで、仕事が終わっても疲れを感じることが少なくなった。
2.時間の使い方は意識して決める
労働基準法によれば、「労働時間が6時間を超える場合は45分以上、8時間を超える場合は1時間以上の休憩」とある。これは社会的な最低限の決まり事であって、どのように休憩をとるかは定められていない。
例えば、6時間以内の労働時間であれば、休憩を与えなくてもよいということではないし、8時間の労働時間だからといって45分の休憩でよいということでもない。
労使間で決めることではあるが、職種や個人で労働と休憩の時間のバランスが違う。まずは自分で最適のバランスを考えるべきだろう。私は自宅で仕事をすることで最適のバランスを保っている。
3.時間管理は自己管理の基本である
「働く時間と休む時間」は、人生全体から見れば、ほんの一部でしかない。しかし、この小さな時間の使い方を考えることが、人生全体の時間の使い方を考えるきっかけになる。
時間について深く考えすぎると、逆にその枠組みに縛られることになる。まずは身近な働く時間と休む時間から、自分に適した時間の使い方を見つけてはどうだろうか。
