人生後半戦の自己管理~私の健康を重視した職住隣接の場合

人生後半戦の自己管理~私の健康を重視した職住隣接の場合
人生後半戦の自己管理
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人生後半戦の自己管理は、これまでの習慣を変えることではなく、新しい目標とルールを見つけること。私は「頑張らない、我慢しない、無理しない」にしています

人生後半戦の自己管理~私の健康を重視した職住隣接の場合

自己理解と自己管理

自己管理を行う前に自己理解が必要であり、自己理解をするためには自己分析が必要になる。つまり、いきなり自己管理を行うのではなく、「自己分析>自己理解>自己管理」の順になる。

また、人生の時期によってもこの手順が正しいとは限らない。思春期に自己分析をすることははなはだ難しい。成長真っ盛りのこの時期は、毎日が新しい情報の更新になる。自己分析をしても、今日の自己分析にしかならない。

人生後半戦になると状況が変わってくる。今までに積み上げた経験や知識の中で不要なものを捨て身軽にする作業が待っている。自己分析は不要なものを決める作業に変わってくる。

そのうえで、残された経験と知識の上に、さらに必要な経験と知識を積み重ねていく作業に入る。自己理解とは、この新たに積み上げるものはなにかという作業になる。

この2つの作業を行わなければ、自己管理は不要不急なことの管理に時間を奪われてしまう。人生後半戦を不要不急なことに時間を無駄に使うのは、自己管理にはあってはならない。

在宅ワークと自己管理

在宅ワークは自己管理が難しいと多くの指摘があるが、本当だろうか。自己管理の難しさの理由は、仕事と生活の区別が曖昧になるからだという。これは管理自体の考えが間違っている。

管理とは目標やルールに合わせるように調整することである。これは仕事においても生活においても同じことで、在宅ワークになると両方の目標やルールが守れないということになる。

例えば、移動時間がなくなったので、起床時間を遅くしたり、夕食を早めにとるなどがあげられる。これは管理する目標やルールの設定が間違っているのだ。

単に余った時間を仕事時間を生活時間に振り替えるのではなく、目標やルールに即して継続した活動を行うべきである。

在宅ワークのルールは、生活環境によって自分で決めなければならない。つまり職場では他者が決めたルールを守れても、自分で決めたルールは守れないのと同じだ。

管理の意味を考えて、在宅ワーク用のルールを再設定し、その目標やルールに向けて調整することが自己管理になる。このように考えてからもう一度、自己管理が難しいかどうか考えてほしい。

人生後半戦の自己管理

人生後半戦になると長い間の習慣を変えられないと思うかもしれない。私の知人のサラリーマンが定年になったとたん、10時に起きてパジャマを着たまま昼過ぎまで過ごすようになった。

夕方まで新聞とテレビで過ごした後、早めの晩酌をし、夕食に1時間以上かけるようになった。定年から1ヵ月後に訪問したときにはボケていた。約束の日、約束の時間、すっかり忘れていた。

それから3ヵ月後に訪問したときには、訪問の約束は覚えていたが、曜日と時間の感覚はなくなっていた。奥さんも目の前で愚痴をこぼしていたので、知人に定年ボケだと強めに注意した。

しばらくして、また知人から電話が来た。訪問日の確認だった。新しい仕事に就いたという。肉体労働らしかったが、その半年後には、現場での労務管理を行うようになっていた。喜ばしいことに私が知っている知人に戻っていた。

長い間の習慣が抜けないなら、その習慣を生かした人生計画を送るのが良い。無理して変えることはない。目標やルールを失うと自己管理ができなくなる。長い間の習慣が抜けないのなら、それを生かす働き方や暮らし方を考えればよいのだ。

人生後半戦と職住隣接

人生後半戦になると仕事や生活の切り替えが必要になる。その時には、仕事や生活の方法を見直すのではなく、目標やルールを見直すことから始めることをおすすめする。

長い間の習慣で目標やルールを変えられないのならば、同じ仕事や生活を維持しながら、少しずつ変えていけばよい。急に変えると、頭ではわかっているつもりでも体はついていかないし、やがて頭もついていかなくなる。

私は自分の経験から、人生後半戦になったら「頑張らない、我慢しない、無理しない」で仕事と生活を送れるような、目標やルール、それにあわせた方法を考えるようにアドバイスしている。

健康を重視した私の職住隣接

私の場合、健康管理の観点から「頑張らない、我慢しない、無理しない」という3つの原則を心がけている。

「頑張らない」とは長い間の習慣を少しだけ変える、例えば週5日を週4日で働くことだ。「頑張る」とは短距離走のスピードで長距離を走るようなものだ。仕事も生活も競争しないようにしよう。

また、「我慢しない」とは、なにか変だと思ったら、休養をとることだ。休憩ではなく、休養である。休養とは計画的に「頑張らない」ようにすることである。仕事も生活にも休養は必要なのだ。

そして、「無理しない」とは、精神論で仕事も生活もしないということである。頑張らない、我慢しないは、体や心に正直な働き方や暮らし方である。それを無視した精神論とは他人の目である。他人の目を気にしない、これも人生後半戦には大切なことである。

職住隣接は人生後半戦に最適のライフスタイル

職住隣接だけを考えると、自己管理が難しいことがデメリットになるが、職住隣接を基準に考えると、職住分離にもデメリットがある。視点を変えればメリットはデメリットになり、デメリットはメリットにもなる。

その考え方のきっかけとなるのが、「頑張らない、我慢しない、無理しない」と考えて人生後半の働き方と暮らし方を再デザインしてみてはどうだろうか。

職住隣接物語