職住隣接で自分の時間を取り戻す~得られた最高のメリット

職住隣接で自分の時間を取り戻す~得られた最高のメリット
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病気をきっかけに、仕事だけでなく、生活と健康のバランスを取ることで、本当の意味での時間の価値と使い方が見えてきました。

最大のメリットは自分中心である

職住隣接で得た最大のメリットは「自分中心に考えられる」ようになったことだ。生まれ育った環境と性格から、いつも相手のことを先に考えてしまう傾向があった。

相手が自分をどう思うかを気にして、自分にとってのベストよりも相手にとってのベストを選んでしまう。自分のことを考えないわけではないのに、結果的に他者優先になってしまうのだ。

時に、この性分が嫌になって爆発し、思い通りの行動をとっては後悔する。この繰り返しは子供の頃から続き、人生後半戦の直前まで変わることはなかった。

転機は親しい人との死別だった。人生について真剣に向き合った結果が、今の自分に反映されている。感動的な話ではない。ただ、長年はめていた箍(タガ)が外れただけなのだ。

誰かに外されたのか、自然に外れたのか、それは分からない。ただ、今までにない開放感とともに、嫌だと思うことを全て止め、自分を中心に考えることを決めた。

自分が1番欲しいものはなにか

自分を中心に考えるとは、内面を見つめることだと思っていた。しかし実際は、周りの人との関係を考えることに終始していた。

例えば、自分のやりたいことを考えた時には、不思議と誰かにやって欲しいことばかりが浮かんでくる。自分の欲しいものを探しても、それは誰かからのヘルプだった。誰かが手を差し伸べてくれることを望んでいたのだ。

いくら自分を見つめ直そうとしても、長年の癖は簡単には消えない。箍が外れた意味さえ見出せずにいた。そこで、本当に欲しいものを一つだけ、徹底的に考えてみた。

それは「時間」だった。

子どものころからずっと求め続けていたもの、それが「時間」だと気づいた。

しかし、時間を手に入れるとはどういうことなのか。自分らしく生きることとどうつながるのか。その答えは、まだ見えていなかった。

仕事も生活も人生も、急にはかわらない

気持ちは変わっても、何かを急に変えることも、変わることもなかった。頭の中では自分を中心に考えて、時間を得ようと思うのだが、具体的にどうすればいいのか、まるで分からなかった。

時間ばかりが過ぎていく、そう考えた時、時間は一方通行だと気づいた。でも時間の行き先は決まっていない。その行き先を自分で決める、これが自分を中心に考えることなのだ。

皮肉なことに、仕事では「目的を持って、目標を明確に」と言い続けていた。自分のこととなると、形式的に実行はしていても、本心では実践できていなかった。

ここからの変化は早かった。周りの人には人が変わったと思われたに違いない。とにかく「ノー」を言う機会が増えたことを、はっきりと覚えている。

それまで仕事道具を車に一式積み込んで、走り回っていた毎日が、自宅の一室で過ごすようになった。顧客は激減したが、その分、自分の時間は増えた。これが快感だった。

時間は万能だと思った、その矢先に

私の仕事は業務プロセスの効率化を提案するところまでが、自分の仕事の範囲だった。つまり、提案をし続け、顧客に役立ててもらうことに喜びを感じていた。

それが、自分を中心に考えることで大きく変わった。今までは与えること(GIVE)に満足を感じていたのが、手に入れること(GET)に変わったのだ。奪う(TAKE)でも与えられる(GIVEN)でもない、自分で掴み取る喜びだった。

時間を手に入れると、次々と変化が起きた。新たな時間を生み、お金を生み、人間関係も生んでいく。時間ができれば仕事も増え、収入も増え、人とのつながりから新しい仕事も生まれた。

自分を中心に考え、行動することで手に入れた「時間」は、確かに万能だった。劇的な変化とまではいかなかったが、新しい時間を得られる喜びは想像以上だった。

そう思っていた矢先のことだった。

職住隣接の”始まり”の始まり

ある日突然、朝のウォーキングから帰ってきて倒れた。心筋梗塞だった。この顛末は今回は割愛するが、仕事中心の考えで「時間」を得たと思っていたが、時間の使い方が間違っていた。仕事で得た時間を仕事に使っていたのだ。

退院後、心臓リハビリを行いながら、このままでは仕事は続けられないという強迫観念に悩まされた。命を救ってくれた担当医にも相談し、心臓リハビリの他に心療内科も受診した。

立ち直るきっかけを与えてくれたのは家族だった。いつもは短い会話とスマホを使った情報交換だったのだが、やはり対面で話すと安心する。特に手を握りながら話されたときにはさすがに涙した。

リハビリ期間は1日の3分の2はベッドの上だった。天井を見ながら考え続けた。そして数週間後、もっと経っていたかもしれないが、生活も自分を中心に考え行動することにした。

職住隣接の"始まり"の始まり

ある日突然、朝のウォーキングから帰ってきて倒れた。心筋梗塞だった。「時間」を手に入れたと思っていたが、その使い方が間違っていた。得た時間のすべてを、また仕事に使っていたのだ。

退院後の心臓リハビリ中も、このままでは仕事が続けられないという不安に押しつぶされそうになった。命を救ってくれた担当医とも相談し、心療内科も受診することにした。

支えになったのは家族だった。それまでは短い会話とスマホでの情報交換が中心だったが、やはり対面で話すと安心する。特に手を握りながら話されたときにはさすがに涙した。

リハビリ期間、1日の3分の2はベッドの上で過ごした。天井を見つめながら、ずっと考え続けた。そして数週間後、もっと経っていたかもしれないが、生活そのものを自分中心に考え直すことを決めた。

これが「職住隣接」の始まりだった。

私にとっての職住隣接のメリット

ここまで読んでいただいてわかるように、「最大」のメリットは時間だったが、「最高」のメリットはさらにその上にあった。自分の残りの人生をどう生きようかと考えるようになれたのが最高のメリットだった。

今は仕事と生活と健康、この三つを軸にして人生を考えている。得られる報酬は時間である。そして社会に還元するのも時間でありたいと思っている。健康だけは自分自身のことなので、体調維持には常に注意している。

人生後半戦は、人生の考え方を変えるだけでなく、日々の生活に反映させなければならない。考え方を変える、行動を変える、手に入れるものを変える、差し出すものを変える。少しずつではあるが、生きていることに恩返しをできたらと考えている。

職住隣接物語