生産性を上げる集中力と仕事環境~自分の働き方は自分で決める
集中力を維持するには休憩が重要。ポモドーロテクニックで、仕事と休憩を組み合わせて生産性を維持しています
仕事で最も重要なことは何か?
「仕事で最も重要なことは何か?」という問いに、みなさんならどう答えるだろうか?
仕事の種類や個人の能力、組織の環境などで、答えは異なるだろう。
私が同じ問いを投げかけられたら、「集中力」と答える。集中力という能力は、何にでも当てはまる。むしろ集中力がなくてもできる仕事のほうが少ないだろう。
ただし、集中力は集中することの難しさよりも、集中を続けることのほうが難しい。そして、集中し続けることによってのストレスもある。このストレスをどう緩和するのかが重要である。
では、通勤などの移動時に集中することはできるだろうか。私にはできない。公共交通機関でも、自分で運転する車でも、集中するのは周囲の状況のほうだ。
集中力によるストレスを緩和できるのか?
集中したときには時間が経つのを忘れることがある。人は周囲の環境の変化がないと時間の経過がわからなくなることがある。そこで、環境を変えることで集中力から解放することができる。
誰もが行っているように、なんのことはない、休憩を取るだけだ。集中と休憩、この繰り返しが、短期的な集中力を繰り返し行うコツだということはよく知られている。
そこでタイマーを使って、定期的に集中と休憩を繰り返すポモドーロテクニックがある。私も長年、ポモドーロテクニックを使っている。特に、あまり気乗りがしない作業などでは効果を感じる。
生活全体がポモドーロライフに
私の場合は、生活自体をポモドーロテクニックで繰り返している。心臓に持病があるので、同じ姿勢で長時間いると血行が悪くなり、心臓に負担がかかるのを見て感じているのだ。
デスクワーク、会議、移動、そして買物、入浴、車の運転など眠っているとき以外は、常に休憩を取っている。例えば、仕事の時は「22分仕事-1分その場で休憩-22分仕事-15分席を離れて休憩」というようにだ。計60分でサイクル化している。
ひとりで仕事をしているからこのようなサイクルを取ることができるのであって、複数の人と仕事をしている時には、このようなことはできない。これもまた職住隣接を選んでいる理由の1つだ。
休憩は仕事の生産性をあげるのか?
仕事には、費用対効果、投資効率などが求めれられる。投入した資源に対して成果の最大化を考えるときには、無駄を省くことを最初に考えるのが一般的だ。
職住隣接の仕事は1人で行うことが基本である。1人で行うためにはあらゆる無駄をとらなければ、雑用に追われているような感覚になり、本来の仕事に集中できなくなる。
それでも、いわゆる仕事時間の4分の1を休憩時間にあてている。休憩時間を少なくすれば、もっと費用対効果、投資効率の面からみて生産性は上がるのではないかと考えるかもしれない。
休憩時間と生産性の関係
労働基準法のような6時間超は45分というような固定的な考え方ではなく、人それぞれ生産性をあげる時間配分は異なるのだ。私は「45分仕事-15分休憩」が最も生産性が上がる。
労働基準法における休憩時間は、過去の手作業が中心の仕事の場合に作られた考え方を踏襲しているにちがいない。たとえそうであっても法律なのだから守らなければならないが、仕事をしている当事者の感覚とはずれていると思う。
機械抜きの仕事が考えられない現代において、休憩時間は機械を使っていることを前提に考えなければならない。
例えば、長距離ドライバーの休憩は4時間ごとに30分以上と決まっている。このように業種や職種、ときには個人の能力や状態に合わせて休憩をとるのが理想ではないだろうか。
在宅ワークと在宅勤務の違い
在宅ワークとは自宅で仕事をして完結すること、在宅勤務とは自宅で会社勤務と同じく指示に従って成果をあげること。一人で行うか、組織で行うかの違いであり、職住隣接の基本は在宅ワークである。
職住隣接というワークスタイルを選ぶと、仕事時間と休憩時間が自分のペースでとれる。私の休憩時間は、ほぼ家事の時間である。掃除をしながら、洗濯をしながら、頭の中は仕事のことを考えている。
ときには、休憩時間でも外に出て体を動かしたり、散歩をしながら、仕事の続きを考えている。休憩時間に散歩をする私の姿は、近隣の人から見ると暇そうに映るかもしれない。
手作業が道具を使った作業に変わり、道具を使った作業が機械を使った作業に変わり、機械を使った作業が自動化され、自動化するための管理作業が中心になり、今ではコンピュータ制御が当たり前になっている。
作業が中心の仕事ばかりではなく、考える仕事もコンピューター抜きには考えられなくなっている。このような変遷を見ると、人間にとって仕事は機械が行なうようになると考える人もいる。
変化する仕事の形と価値
一方で、同一労働同一賃金が進められているが、この場合の同一労働とは何を指すのだろうか。機械を使う仕事であれば、機械を使うという労働に対しての賃金だろうか、それとも機械の性能が上がれば賃金も上がるのだろうか。
このような話を聞くにつれ、「仕事とは労働条件を意味する」ように感じて仕方がない。私はいろいろな仕事をしているが、すべて私の仕事スペースで行っている。仕事の成果に支払われる金額は、労働条件は関係ない。
パフォーマンスを最大化できる環境で働くことが、私の仕事の仕方である。ただそれが職住隣接というワークスタイルであるに過ぎない。
仕事に働き方を合わせるか、仕事を働き方に合わせるか
仕事には目的と成果、そして途中経過がある。途中経過が働き方になる。目的と成果重視であれば、働き方は問わないだろうし、昨今のコンプライアンス(法令順守)を考慮すれば働き方はわかりやすいほうがいいだろう。
職住隣接は働き方が多様化するのでコンプライアンスを求めるのは難しい。であれば、コンプライアンスというフィルターを通すよう仕組みを定義すればよい。これについては専門家に委ねるべき課題だろう。