家族との共用スペース~ 多様化する家族の形態と時間の共有

家族との共用スペース~ 多様化する家族の形態と時間の共有
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多様化する家族の形態と生活リズム。これからの時代に求められるのは、家族としてのあり方か、個人としての生き方か、難しい問題です

多様な家族の形態

人生後半戦を迎えた方々の家族形態は様々であり、家族形態によって職住隣接のあり方も変わってくる。職住隣接を考える上で、まず現代の家族形態を整理してみよう。

現代の家族の形態は大きく3つに分けて考えることができるが、時間とともに変化していく可能性がある。

  • 単独世帯:ひとり暮らし、別居家族がいる場合
  • 夫婦世帯:夫婦二人暮らし、子供が独立している場合
  • 同居世帯:子供や両親との同居など二人以上の暮らし

また、家族形態と密接に関係するのが住まいの所有形態である。日本の持ち家率は60%前後を推移し、特に高齢者層で高くなっている。人口減少が進む一方で世帯数は増加し、空き家率も上昇している。これらの変化は、職住隣接の選択肢を広げる要因となっている。

私の場合は実家でひとり暮らしをし、それぞれの家族は独立して暮らしている。実家を空き家にしなかったのは、仕事をするにも生活するにも立地が良く、利用価値が高いと考えたからである。この経験から、職住隣接は家族形態や立地条件によって、最適な形が異なることを実感している。

近未来の家族の形態は、さらに多様化していくことが予想される。したがって、職住隣接は、既存の世帯イメージにとらわれず、人口構造や社会構成の変化を踏まえ、それぞれの状況に応じた柔軟な発想が求められている。

家族の形態は変わる

かつては1つの家に家族全員が暮らし、家族の時間を共有するのが一般的であった。生計は男性が職場で働くことで賄い、家での生活自体は女性(妻/主婦)が賄っていた。学校へ通う子供も日中は家にいなく、家族全員が揃うのは職場や学校が休みの土日であった。

今でも多くの家族はこの習慣で過ごしているだろう。実際には、サービス業が増えると土日が休みとは限らず、勤務時間も日中とは限らなくなっている。女性が職場で働くことが多くなり、子供も学校の課外活動や習い事で家にいる時間が少なくなっている。

このように家族が一緒に居る時間が少なくなっており、時間の過ごしがし方がまったく違うようになっている。時間の使いかたが変われば、家族の形態も変わるのは自然な流れである。

家族の形態や自宅での時間の過ごし方が変われば、家の間取りにも変化が生じる。家族の団らんの場であった居間(リビング)に家族全員が揃うこともなくなり、そして揃う必要もなくなっている。

それは家族のコミュニケーションが直接でなくても済むことが多くなったからである。帰りが遅くなる、休みの予定が変わったなどの連絡は、電話ではなく、メールやチャットで済むようになっている。

このように家族の生活様式が変化しているにもかかわらず、自宅の間取り自体は依然として家族全員が揃うことを想定して設計されている。これからの自宅のあり方を考える上で、間取り自体の見直しが必要になっている。

自宅に仕事スペースをつくる

最近では在宅ワークが一般的にも認められるようになり、自宅で仕事をしていても違和感がなくなった。しかし、自宅は生活の場として設計されているので、仕事スペースがあるとは限らない。子供がいる場合は勉強スペースを確保しているにも関わらずである。

すでに生活の場として設計されている自宅に、新たに仕事スペースを設けるためには、家族と充分に話し合う必要がある。限られた自宅スペースに、家族がそれぞれの時間を過ごすためのスペースを確保するということは、今までの自宅の発想にはないことだからだ。

持ち家ならばリフォームという手段も考えられるが、賃貸であれば転居を考えなければならないこともある。そこで人生後半戦という時期がポイントになる。子どももある程度の年齢になり、それぞれが家で過ごす時間をどのように使うかを理解できるようになってるだろう。

時間の使い方と同時に、自宅のスペースの使い方も、個人のスペースと共用のスペースという考え方が必要になる。実際に、人生後半戦になると夫婦で寝室を別にしたり、夫婦それぞれのワークスペースを持つようにしている場合もある。

家族の形態、時間の使い方、スペースの使い方は、地域の商業施設やサービスなど生活環境の変化とともに変わっている。自宅に住み始めたころの環境を維持するだけではなく、家族それぞれの生活実態と地域の特性に合わせて柔軟に変化させることが大切である。

自分の時間と共有の時間

人生後半戦を迎えると、家族それぞれが自分の時間を大切にしたいという思いが強くなる。子供の成長とともに、家族の生活リズムも変化し、一緒に過ごす時間も減少していく。

しかし、それは家族の絆が弱くなることを意味しない。むしろ、限られた共有の時間をより大切にすることで、お互いの存在を意識し、尊重しあう関係が築ける。

例えば、食事の時間は家族が自然に集まる機会となる。毎日の食事を一緒にとることは難しくても、週末の食事や記念日など、特別な時間として共有することができる。

このように、自分の時間を確保しながら、共有の時間も大切にする。そのためには、家族それぞれの生活リズムを理解し、無理のない範囲で時間を共有することが大切である。

人生後半戦は、自分らしい生き方を見つめ直す機会でもある。家族との時間の使い方を考えることは、老後の自宅での暮らし方や生活スタイルを考えることにもつながる。

親と子供という関係に加えて、これから介護が必要になるかもしれない両親との関係も考える時期である。これまでの生活を振り返りながら、これからの人生をどのように過ごしていくのか、じっくりと考えてみるのもよいだろう。

そして、時代とともに変化する生活環境の中で、自宅に必要なものは何か、共用できるサービスは何かを見直すことも必要になってきている。この点については次回の記事でお話ししよう。

もうすでにお気づきかもしれないが、場所は「共用」、時間は「共有」と表現している。時間は個人のものであり、共用も共有もできないというのが私の考え方である。しかしながら、あえて時間を共用」と表現はしていない。物理的なものは「共用」、物理的でないものは「共有」という考え方もあるが、時間は他者と共にする時間であっても、その経験や感じ方は個人に帰属するものである。つまり、同じ時間を過ごしていても、その時間から得られる経験や感情はそれぞれの個人が所有するものとなる。そのため、時間については「共同で所有する」という意味の「共有」を使っている。

職住隣接物語