人生後半戦の仕事と働き方 ~作業から始める職住隣接
仕事、作業、働き方の3つの視点から、変えられないことと、変えられることがあり、本当に働き方改革は必要だったのか、についてお話しします。
人生後半戦に働く必要はあるのか
職住隣接というライフスタイルは、人生後半戦に働く意思がある人のためのライフスタイルである。今までの人生計画としてのライフスタイルは、「教育-仕事-引退」という考えをもとに作られていた。
このようなライフスタイルは、ピラミッド型の人口増加、右肩上がりの経済成長、国際協力と平和主義が持続可能だと考えられていたからである。ところが、現実が異なっていることは周知の事実である。
職住隣接とは個人のライフスタイルのように考えるかもしれないが、個人が集合して集団となる社会から、個人が個別に参加するネットワーク社会へと変貌しているのである。
社会が変化すれば、社会の規範も変わり、制度も新しい社会に適合するようにしていかなければならない。例えば、現在の自動車社会が、馬車から自動車に変わり、そしてEVに変わろうとしているようにである。
私たちが人生で働く期間として考えられた「教育-仕事-引退」の仕事の期間は時代に合わない過去の制度になっている。強いて表すなら「第一の人生-第二の人生-第三の人生」となり、いずれの人生でも仕事、すなわち働くことが組み込まれる。
働き方も従来の「仕事=生活費」という考え方から変わり、「ライスワーク・ライクワーク・ライフワーク」のように例えられるような考え方になっているのである。
人生後半戦の仕事、作業、働き方
人生後半戦に働くとはどのようなことを意味するのだろうか。私の経験をもとにお話ししてみようと思う。
一般的に「お仕事は?」と聞かれたときには、業種、職種、職業を聞き手の意図に合わせて答えていた。弁護士や医師のように明確な職業名がある場合は答えやすいのだが、おおかた「サラリーマンです」と答えれば、それ以上は聞かれることは少なかった。
私のサラリーマン時代は、友人の賃貸事業を手伝っていたり、また違う友人の飲食事業を手伝っていたこともある。こういう働き方は、副業、兼業、複業と言われる働き方である。おおかた生活費を稼ぐ目的で働いていた。
独立してからは業種で答えていた。名刺を出せば相手が知りたいことを載せていたので、それ以上は聞かれることはなかった。
人生後半戦になって両親の介護が始まり、今までの仕事や働き方ができなくなった。もっとも時間をかけていたのは両親の介護なので、「お仕事は?」と聞かれたときに「介護です」と答えていた。
これは「主婦です」と答えるのと同じ意味あいで使っていた。主婦は仕事でも職業でもないが、家事という作業もしているし、日々働いているのだから、介護も同じだという意味だったのだが、あまり理解は得られなかった。
このように、「働く」という概念は、仕事や職業の枠を超えて、より広い意味を持つようになっている。それは単なる収入を得る手段ではなく、社会との関わり方や生き方そのものを表現するようになっている。
今までの仕事と働き方が変えられるか
今までの仕事と働き方のそれぞれの分類が変化していることを認識できているだろうか。ホワイトカラーとブルーカラー、デスクワークとフィールドワーク(現場仕事)、工場(生産業務)と事務所(管理業務)という分類自体が現状に適さなくなっている。
また、仕事や働き方に共通するプロセスも変化している。手作業-機械操作-コンピューター制御などの仕事のプロセスの変化、紙への手書きー紙の印刷物-電子資料というように作業に必要な情報媒体も変化している。
さらに、科学技術の進歩により多くの人的労働が機械の介在により、労力としては軽減される一方で新たなスキルが要求されるようになっている。他にも年功序列や終身雇用、定年の廃止などは記憶に新しい。
このように、従来の仕事と働き方の区分や、仕事のプロセスが大きく変化している中で、従来からの仕事や働き方の分類を維持することが、無駄や無理を生み、生産性にも影響を与えている。
人生後半戦の働き方は、これらの既存の構造を認識し、「変える」という考え方を持つことから始めなければならない。従来どおりという考え方では、職住隣接どころか、従来の構造の下で働くことにも支障が出る。
変えられないことと、変えられること
人間関係では「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」と、カナダの精神科医エリック・バーンが説いている。仕事や働き方も同じであると私は考えている。
自分のキャリアを振り返ると、仕事に就いた時代とその時に受け取った報酬は大きく異なっている。そしてキャリアを積むたびに、時代の様子と報酬額も変化してきた。それが自分の意志ではないとしても、変わったという事実は歴然としている。
これからも時代は変わっていくので、自分を変えなければならない。自動車の運転も初期は特殊技能だったが、今では運転免許で多くの人が利用することができ、近い将来に自動運転が可能になれば免許も必要なくなるかもしれない。
未来は生きている間に訪れないと思うのではなく、人生後半戦のうちに訪れるかもしれないというのが昨今の時代のスピードである。
ただし、どんなに自分を変えたとしても、他の人や社会が従来のままでは、仕事も働き方も変わらないと考えても当然だろう。そこで、もう一歩進んで、仕事や働き方に共通する作業を変えてみてはどうだろうか。
高度経済成長を境にして家事労働が手作業から家電製品を利用するようになり、今ではありとあらゆる家事が家電で可能になっている。同じように仕事と働き方も、作業まで落とし込んで考えてみてはどうだろうか。
必要だったのは働き方改革ではなく作業改善だった
人生後半戦になって、いまだにコンピューターを使えるか使えないかというデジタルデバイド(情報通信技術の利用格差)が指摘される一方で、高齢者のスマホ利用率が高まっているという。
他にも健康保険証がマイナンバーカードで利用できるという移行作業も発表以来、大きな支障が発生している様子はない。これらの変化には共通点がある。
スマホの利用率が高いのは通信システムが従来の携帯電話に対応しなくなったので、スマホしか販売していないからである。また、紙の健康保険証も発行されなくなるのでマイナンバーがメインとなるからである。
つまり、これこそが「時代が変わる」ということである。供給側の転換により、パラダイムシフト(物の見方や捉え方の転換)が起きた。仕事や働き方では変わることに抵抗があっても、一つ一つの作業では変えることは可能なのだ。
では、コンピューターが使えないという問題はどうだろうか。これも少しずつではあるが浸透しつつある。コンピューター(インターネット経由)でなければ予約できないとか、飲食店のオーダーもスマホアプリで行う方法が増えている。
働き方改革も、仕事や働き方における作業改善とすれば、より速やかに従来の方法から変えられたかもしれない。職住隣接も最初の一歩として、自宅に仕事スペースを作るという作業段階から提案しているのも、まず作業としての段階から始めることを勧めているのである。