74 人生後半戦は自分で創り管理する~優先順位より劣後順位

人生後半戦は自分で創り管理する~優先順位より劣後順位

「人生とは自分を見つけることではない、人生とは自分を創ることである。」とは、ジョージ・バーナード・ショーの言葉です。おこがましいですが、「創り続けること」かもしれません。

人生は自分のものである

未来を考えるには、現在を起点に考える方法と未来を起点に逆算して考える方法がある。職住隣接の考え方は後者の考え方である。この考え方の未来とは、未来の自分と未来の社会があるが、今回は未来の自分を起点に考えてみる。

それは100歳の自分ということではなく、未来の自分を描くことによって、現在の自分はどのように働き、暮らすかということである。人生後半戦は何歳まで生きるかを考えるのではなく、人生後半戦の生き方を決めるのは自分でしかない。

コミュニケーションの心得に「相手は変えられないが、自分は変えられる」という言葉がある。同じように「社会の未来はわからないが、自分の未来は変えられる」と考えれば、自分の未来を描くことは未来社会を描くよりも容易だ。

未来を描くために「自立度」を知る

このように考えると、いつの日か介護を受けることは避けられないだろう。介護の基準には、制度として介護認定基準があり、細かい要件で担当者が客観的に判断する。主観的に判断するとすれば、自立した生活を送れる場合は、何歳であろうと、持病があろうと介護の必要はない。

視点を変えれば、自立した生活ができれば健康状態であり、自立した生活ができなければ他の人の力を借りる介護状態であると考えることができる。自立には身体的自立と認知的自立があるので、片足立ちや記憶力で自分の自立度を試してみてはどうだろうか。

「自分を知る」とは、性格や嗜好、環境や運勢などに偏りがちであるが、人生後半戦は自立度を知ることが大切である。そして、現在の自立度だけではなく、自立度の変化を把握すべきである。未来の自分の人生を自分のものにするには、自分を知ることを抜きにしてはいけない。

生きるためのエネルギーを得る

人生後半戦になったと感じるのは、感覚器の衰えである。老眼になり、高音域が聞こえづらくなり、味覚も薄味でもおいしく食べられるようになる。他にも段差に躓いたり、体が硬くなり、すぐに思い出せなくなったりする。なかには硬い食べ物を好まなくなる人もいるようだ。

このような変化は、過去記事でお話しした生活エネルギーと生存エネルギーにも影響する。生活エネルギーとは日常で使う電気・ガスなどの外部エネルギーである。高齢になると在宅時間が長くなり生活エネルギーが増える一方、生存エネルギーは減る傾向にある。

生存エネルギーとは、主に食べ物から得るのだが、その選択が「おいしい、好き」から、健康に良いものに変わってくる。食べ物だけではなく「栄養・運動・休養」に関わる健康関連消費が人生後半戦には増える傾向にある。

Well-being Of Life ~ 幸福の質

生活エネルギーと生存エネルギーの他にもう1つ「生きるためのエネルギー」が必要になる。生活エネルギーや生存エネルギーとの違いは、外部からのエネルギーでは他者との関係、内部からのエネルギーとしては感情や情熱である。生活と生存にばかりとらわれ、「生きる」の意味を忘れてはいけない。

前述の介護は、生活と生存を補助するだけであれば、やがてロボット介護やカプセル型介護に代替されるかもしれない。QOLやADLの向上を目指すことも大切であるが、自分自身でWOL目標を持つことも大切である。

 ※カプセル型介護:介護に要するADLとQOLがセットされた、SFに登場する冬眠カプセルのような機器
 ※QOL:生活の質、ADL:日常生活動作、WOL:幸福の質

「仕事は生活のため」の意味

未来に向けての心構えは「自分の未来を変える」と述べたが、自分の未来を変えるのは自分だけではない。すでに自分を変えるために行っていることに気づいていないだけかもしれない。

動物学者のデスモンド・モリスは人間を「裸のサル」であると著している。人間は裸であるゆえに衣をまとい、鋭い牙や爪がない代わりに道具を使い、力の弱さを補うために集団で戦う知恵を使うようになった。

その延長線で考えると、叫び声に意味を持たせ言葉とし、道具を複雑なまでに組み合わせて機械を作り、落雷から電気の存在に気づき、現在では、通信、動力、熱源など、ありとあらゆるモノやコトに活用している。

そして、未来に向けてAIやロボットを発明し、さらに進化し続けている。これらは、すべて「裸のサル」が自分を知ることによって、人間の機能を拡張し続けた結果である。

つまり、人間は自分を知ることによって、自分が持つ機能を外部機能として変えることを行い続けてきた結果である。「自分を変える」とは、自分の内部ではなく、自分の外部を自分の延長として変えることも意味する。

最も変えにくいのは「自分の考え方」

自分の外部だけでなく、自分の内部、特に気持ちや考え方を変えることもできるのだが、外部機能として付け加えることよりも抵抗を感じる人が多いように思う。

たとえば、生活と仕事の関係を「生活のために仕事をしている」と考える人がいる。では「好きな生活のために好きな仕事をしている」と考える人はどのくらいいるだろうか。「好きな生活をするために嫌いな仕事をしている」と考えている人のほうが多いのではないだろうか。

人生後半戦をもっと好きな生活をしたいと考えているのなら、自分の考え方を変えることでベターライフが可能になる。そう信じて人生後半戦の仕事に取り組んでほしいと、私は願っている。

自分の未来は変えられる

考え方を変えるだけで自分を変えられると思わないという人もいるだろう。「考え方を変えれば行動が変わる」という人がいるかと思えば、「行動が変われば考え方が変わる」という人もいる。

どちらも正しいのだが、たった1度変えることだけですべてが変わると思ってはいけない。「考え方を変えれば行動が変わる、行動が変わればさらに考え方が変わる」という繰り返しが必要なのだ。

また、「未来は変えられる」といっても、考えや行動が変わっても未来が変わるとは限らない。「変えられる」と「変わる」の違いは、考えと行動の繰り返しの中で変えられるタイミングが訪れるということである。

職住隣接を十数年前に行ったときには誰からも理解された訳ではなかった。それでも自分が働きやすく、暮らしやすい、そして心地よい生き方を行うためだけに続けてきた。まさか、現在のような環境になるとは、当時は思ってもいなかった。

すべてを得るために欲ばらない

職住隣接を行うためには、もう1つだけ自分が心がけることで大切なことがある。それは「すべてを得ようと思うなら、欲ばらないこと」である。

「未来を変えられる」というフレーズを読んでも、未来を変える必要はない、未来が変わった頃には生きていないと思う人もいるだろう。また、未来を変えられても、社会が変わらなければ意味がない、と思う人もいるだろう。私は何度もこのように考える人に出会ってきた。

未来とは10年後かもしれないし、1年後かもしれないし、明日かもしれない。変わることを信じなくても、変えられることは信じて欲しい。裸のサルの中にも、未来について考えるサルもいれば、考えないサルもいるだろう。

考えないサルは、考えるサルの後に続き、考えるサルの後についてきた自分は正しかったと思うだろう。考えないサルは、周りを見て思うかもしれない。世界が変わった、社会が変わった、と。

優先順位ではなく劣後順位を決めた

私が職住隣接というライフスタイル(働き方と暮らし方)を選んだ時に、そのとき得ていたモノやコトをすべて持ち続けてきたわけではない。人間関係は、選びに選んで、続ける人間関係と終わりにする人間関係を選別した。

職住隣接を実行するために家族と離れて暮らし、1日を6時間ごとに区切り、それぞれのターム(区切り)で自分の役割を決めて、毎日を過ごしてきた。これは、宇宙船の中の暮らし方を参考にしたものである。

自宅に仕事スペースと生活スペースを設け、生活スペースには共有スペースとプライベートスペースを設けている。これらはシェアオフィスやシェアハウスを体験して、リフォームすることなく自宅の用途を変えた。

「すべてを得るために欲張らない」とは、優先順位を決めることではなかった。私にとっては劣後順位を決めることから始め、選別しなかったことは次の未来に先送りしたのである。そして、未来に先送りしたことを、後回しになったが実現できている。

未来は一度ではなく、何度でもやってくることが、そのときにわかった。だから、「心配はほどほどにして、未来に向け考え、行動しよう」と大きな声では言わないが、自分の行動で示そうと思っている。