72 「住」から考える生活観~個人と社会で分ける職住隣接


自立して生活している限り、日常生活の仕事をしなければなりません。ただ、お金のため、他の人のためになっているかどうかは別のことです。

生活エネルギー
職住隣接の「住」とは住まい、すなわち自宅での生活や暮らし全般を意味する。「職住」という語句から「職」すなわち仕事について重点を置いて語られることが多いが、重要なのは「住」のほうである。
「仕事」では全体を主とし、個人が従である。個々人の仕事が全体の仕事となるのだが、全体がまとまらなければ仕事は完成しない。それに対して、「生活」は個人が主で全体が副である。
「主と従」の関係は主が常に優先する。「主と副」の関係は基本的には主を優先するが、副を優先することもある。生活では、優先順位は固定的ではなく、状況や環境によって「主と副」を柔軟に入れ替えることができる。
この違いは、生活エネルギー、すなわち生活するために必要なエネルギーである、給湯給水、冷暖房、電化製品などに表れる。この中でも電気エネルギーへの依存度は年々高くなっている。
2022年度の環境省の資料によれば、1世帯が1年間に消費したエネルギーを金額換算にすると、全体が20.4万円、電気が13.2万円で約65%になる。エネルギーの単位であるkcalやkWhよりもわかりやすい。
エネルギーは消費である。使ったエネルギーは元には戻らない。生活に関わるエネルギーは衣食住に目が行きがちだが、私たちの生活はエネルギーに支えられていることを忘れてはならない。
生存エネルギー
前述の生活エネルギーの衣食住の「食」は、生活エネルギーとしてだけではなく、生存エネルギーとして極めて重要な位置づけになる。「食は命なり」「人間の体は食べたもので作られる」と言われるように、食べることなしには生活どころか生存も危うい。
「食べること」には、2つの視点から考えることができる。1つは感覚的な「味」という視点、もう1つは理論的な「栄養」という視点である。この他にも食事となるとコミュニケーションという視点もあるが、味と栄養を満たさなければ食事でのコミュニケーションは成り立たない。
生存に必要なエネルギーは、年齢、体格、性別、基礎代謝、生活代謝などを考慮して、いろいろな計算値があるが、概ね1800〜2000kcalから個人の状況により増減すると考えてよい。
日本の多くの人は生存エネルギーを基準にして食べてはいないだろう。味や栄養に気を配り、その次に食べる量と体形の維持から「食」を考えていると思う。では世界的にはどうだろうか?
言わずもがなではあるが、食糧危機に直面している地域も多いし、味や栄養という点で日本は恵まれている。恵まれているからこそ、生存エネルギーだけでなく、味や栄養にもこだわることができるのだ。
「職住隣接」は個人の仕事と生活に関わるライフスタイルと考えがちだが、エネルギーという視点だけを考えても個人だけではなく、社会的な視点を持つことができるし、持たなければならない。
人口より世帯
職住隣接は「住」の中に「職」を持ち込むのであるから、これからの「住」をすなわち世帯単位としたときに、注視すべき4つの傾向がある。
- 人口は2004年から減少している
- 世帯数は2030年から減少する
- 1世帯当たり人数も2033年には2.0以下に減少する
- 単独世帯、特に高齢単独世帯が増加する
特に、総世帯数は2030年の5773万世帯から2050年にかけて513万世帯減少すると予測される一方、同じ期間に65歳以上の単独世帯は887万世帯から1079万世帯へと増加する見込みになっている。
世帯数の減少は戸数の減少とは限らないが、高齢者の持ち家率が高いことから、空き家の増加や高齢者の単独世帯が多くなると予測できる。
人が住んでいない空き家問題と同様に、高齢者が住んでいる家では空き部屋が増えることも予想できる。この空きスペースの利用を時代の流れに先んじて利用したのが私の職住隣接のはじまりとなった。
デジタル生活
前述のような「住」、すなわち生活や暮らしにおいて、現在に至るまでに大きく変わった事が3つある。1つめは生活家電による家庭内労働の減少、 2つめは小型化と省エネ性能の向上、3つめが生活移動時間の減少である。
これらの変化は科学技術の進展や可住地の開発などもあるが、その後押しとなっているのは、広範な電気エネルギーの利用にある。
電気エネルギーは産業エネルギー、生活エネルギーとして利用されている。その中で近年、急激にエネルギー消費量が増えているのが、情報技術の発達によるデジタルに要する電気エネルギーである。
新型コロナ禍で半導体不足になったのは記憶に新しいし、不安定な世界情勢の中で、半導体利用に影響するレアアースの存在もなくてはならない。
自分の生活にはデジタル技術は関係ないと思っている人でも、公共交通機関の利用、病院での検査や診断、電力の配電管理などはすべてデジタルで行っており、その恩恵を受けている。
未来を語る上でデジタル技術は、生活の多くの場面に関わっている。AI、ロボットなどの最先端だけではなく、すでにデジタル生活の最中にいることを、これからも意識しなければならない。
好きと嫌い~必要と不用
「職住隣接」にとって、「職」よりも「住」が重要であると冒頭で述べた。人生後半戦に限らず、好きな仕事をしたい、またはするべきという考え方がある。なぜ好きな仕事をするのかといえば、それは好きな生活をしたいからではないだろうか。
好きな仕事をするにも、好きな生活をするにも必要なモノやコトがある。必要なモノやコトを維持するためには不必要なモノやコトを遠ざけたほうがよい。
必要か、不必要かも考えずに、もう使わなくなった「不用」になったモノを「思い出」として持ち続けてしまいがちである。思い出は大切であるが、不用のモノこそ、必要か、不必要かを問い直すべきである。
不必要なモノやコトを「いつか必要になるかもしれない」と考えるのは、未来の「いつか」に遠ざけることで先送りしているのと同じである。
好きな仕事や生活は現在のことであるのに、不必要なモノやコトを未来に先送りしているならば、それは好きな仕事や生活を先送りにしていると同じである。
嫌いな仕事や生活はしたくないのに、不必要なモノやコトは手放したくない。そんな矛盾した未来を考えてはいないだろうか。
私は好き嫌い、必要不要を決めろと言っているのではない。仕事と生活を同じ未来の方向に向け、そのために必要なことに人生後半戦は集中すべきだと言っているのである。
私が職住隣接を続けているのは、仕事と生活を同じ未来に向けることで、必要なコトに集中できるからである。このことを最後に伝えたい。