人生後半戦のライフスタイル~良い習慣を続け、悪い習慣を断つ

人生後半戦のライフスタイル~良い習慣を続け、悪い習慣を断つ

人生後半戦を第二の人生と考えるなら、今までと同じ人生を歩みたいか、それとも違う人生を歩みたいかによって、「生き方」としてのライフスタイルが変わります。

人生後半戦のライフスタイル~良い習慣を続け、悪い習慣を断つ

新しい習慣を身に付ける

ライフスタイルを変えるときには、新しい習慣を身に付けなければならない。

私は人生後半戦になってライフスタイルを2度変えた。両親の介護を本格的に始めた時と、心臓発作を起こして命拾いした時である。ともにライフスタイルを変えるには6か月ほどかかった。

物理的なライフスタイルを変えるのは理屈で整理できたのだが、ライフスタイルに合わせた習慣を変えるのに時間がかかった。例えば、起床時間は6時起床から介護が始まったときには3時起床、そして心臓を患ってから7時起床というようにである。

時間はかかったものの、習慣は意識することで変えることができた。ところが意識していなかった習慣、例えば朝昼夕の食事などは変えることができなかった。介護時には規則正しい食事は難しく、心臓病後の食事療法は辛かった。

意識していない習慣を、私は「人生の癖」と呼んでいる。習慣には良い習慣と悪い習慣があり、意識していない悪い習慣を「癖」という。規則正しい食事は悪い習慣ではないが、介護優先の場合は介護の妨げになってしまった。

このような経験を通して、「ライフスタイルとは習慣の継続が可能な環境を作り出すことでもある」と気づいた。

意識する習慣、意識しない癖

習慣には2通りある。長年の経験から身に付けた習慣と、制度や規則から身に付けた習慣である。

長年の習慣は無意識で身に付けた習慣であることが多い。例えば、起床後に歯を磨くという習慣は、無意識に身に付けた習慣であるが、悪い習慣ではない。ただし、起床後に歯を磨くべきか、朝食後に歯を磨くべきかなど、見直しをすることで良い習慣になる。

無意識の習慣が悪い癖に変わるのはもっと些細なことである。例えば、つい出てしまう口癖や貧乏ゆすりなどがそうだ。一方で、礼儀正しさや几帳面さといった、個性として肯定的に捉えられる無意識の習慣もある。いずれにせよ、これらの癖は無意識であるため、変えることは容易ではない。

制度や規則による習慣は、意識的に自分自身を習慣づけしたことから、外的な要因の変化に応じて変えやすい。意識した習慣は外部からの要求だけではなく、自主的に習慣づけることも可能である。新型コロナ禍で日常の習慣を変えた人が増えたのは記憶に新しい。

意識した習慣は、思考や意志をともなう習慣であるので、考えられた習慣である。一方の意識しない習慣は反射反応と同じで、考えられていない習慣である。この思考停止による習慣には「とりあえず」や「現状維持」などの「人生の癖」として現れる。

良い習慣は意識することで見直されるが、悪い習慣である癖は無意識であるため直すことは難しい。

環境を変えれば、習慣が変わる

心を変えれば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる(ウイリアム・ジェームズ)

この言葉は多くの人によって語られ、ときにアレンジして使われている。では心を変えるためにはどのようにすればよいのだろうか。コヴィー氏の「7つの習慣」では、自覚や自主性について語られている。自覚や自主性を持つには「考えること」が欠かせない。

つまり思考停止をしている無意識の状態では「心を変える」ことは難しい、いや、無理かもしれない。習慣は心理学の対象にもなっていることから、心に起点があることは間違いない。とは言っても、心が変わるまで待っている以外の方法がある。

それは環境を変えることだ。大前研一氏は「人間が変わる方法は3つしかない。時間配分を変える、住む場所を変える、つきあう人を変える。」と。そして「最も無意味なのは、決意を新たにすることだ。」とも。決意とは人間の心の中で生じる。

「時間、場所、人間関係」の3つは、環境を構成する要素でもある。環境というと物理的なモノやコトを考えがちである。確かに模様替えや配置換え、自然を意識したインテリアも環境を変えることには違いない。環境とはもっと幅広く、身近なところからでも変えることができる。

環境が変われば、視覚、聴覚を始めとしたあらゆる感覚が刺激される。感覚の刺激は心を変える大きな要素となり、心が変わり、行動が変わり、そして習慣が変わるのではないだろうか。

「型」から新しい習慣へ

日本には芸道を修行する段階として「守破離」がある。「守」は型を忠実に守り身に付け、「破」は型を心技と共に発展させ、「離」は独自の新しい型を確立させる段階である。

この考えは現代でも茶道、華道、武道で、広く深く受け継がれている。また、体操やフィギュアスケートの規定や自由演技、多くのスポーツ競技での基本と応用でも用いられている。特に、危険が伴う競技では基本を身に付けなければ命にかかわるので、基本練習が欠かせない。

この「型」の考え方を、基本的な環境として考えると、前述の「環境を変えれば、習慣が変わる」に通じるのではないかというのが私の考えである。この場合の「型」とはスタイルのことであり、基本的なライフスタイルのことである。

基本的なライフスタイルは時代とともに変わる。まずこれを認識しなければならない。思考停止や現状維持のライフスタイルを送っている人でも認識できる。例えば、家事の多くは家電が代替できるようになり、石炭や石油に頼っていたエネルギーは電気に変わっている。

ライフスタイルを新しいライフスタイルにすることで、習慣も新しい習慣へと変えることができる。私たちはそういう時代に生きていることを認識しよう。

無意識を意識する

自分で無意識にやっていることをもっと意識しなければならない。(イチロー)

前述したとおり、無意識で行っている習慣には、良い習慣と悪い習慣がある。野球選手イチローが言う「無意識にやっていること」の意味は「無意識にできるようになるまで練習すること」である。これは良い習慣を意味している。

「良い習慣は無意識に行っている」とここで述べると前述と違うのではないかと思うかもしれないが、「守破離」を思い出して欲しい。「無意識にできるようになるまで練習する」のは型を守る「守」の段階である。次の発展段階の「破」が本番の試合である。

本番の試合で練習の成果を出すために「無意識にできるようになるまで練習する」のである。本番の試合で上手くいかないときは、練習方法を見直す、つまり意識し直すことになる。同じ練習を繰り返すか、練習方法を変えるかはその時にもよるが、また無意識にできるようになるまで練習する。

これを繰り返すと無意識を意識する境地に到達でき「離」の独自性の段階となる。無意識を意識するとは、練習を継続することである。これが「継続は力なり」の意味でもあり、その結果、「習慣は強力になる」のである。

無意識による悪い習慣である「人生の癖」は、意識することなく無意識の中で人生を送ることである。守破離の「離」がベストライフならば、せめて「守」で人生後半戦を送り、「破」となるベターライフを目指してはどうだろうか。