人生後半戦の働くと暮らす~頑張らずに楽しむを視覚化し再デザインする


50歳になったら100歳までの人生を見通してみましょう。あなたは「問題解決型」で見通しますか?、それとも「願望実現型」で見通しますか?

前回の記事では「人生後半戦のビジョンを視覚化しよう」をテーマとしてお話しした。今回は「視覚化するためにこころがけること」をテーマにしてお話しする。
人生後半戦の棚卸しと見通し
人生後半戦になると、よく言われるのが「キャリアの見直し」と「フィナンシャルプランの見直し」である。家族構成が変わり、定年退職金と年金受給額を住宅ローン残高と見比べながら老後の計画を練る、というのが今までの考え方だ。
現在もこのように考えている人は、20年とも30年とも言われる日本のデフレ経済の影響をあまり受けなかったのかもしれない。今どきの人生後半戦の準備は、定年後の就職先と住宅相続をどうするかというように、今までの老後の計画から変わってきている。
世界はグローバルにつながり、一国の経済だけで、考えることはできなくなった。経済大国は生産大国ではなく、投資が経済に占める割合が大きくなっていたのだ。ひとたび戦争やバンデミックが発生すると、連鎖的に経済と政治に影響が出てくる。
人生後半戦の計画は過去の棚卸しだけではなく、未来の見通しが必要になっている。「年金、医療、介護」の社会保障予算に国家予算の3分の1が使われている。その多くは高齢者向けの予算である。人生後半戦=高齢者ではないが、高齢者自身が人生後半戦の仕事と生活を見直さなければならない。
定年になったから、高齢者になったから、という理由だけで、仕事を辞め、働かずに悠々自適という生活が待っていると思ってはいけない。
頑張らない、我慢しない、無理しない
50年前の1975年には、日本がこのような経済状況や高齢者社会になることは想像していなかったかというと、そうではない。50年前には既に高齢社会を予測していたし、経済は国内ではなく国外の経済に支えられてきたのだ。
日本は、忍耐強く、質素倹約を重んじ、頑張ってきただけではなかった。頑張る一方で自由を蔑ろにしてきたのはないだろうか。頑張る人が重宝される一方で、頑張らない人、頑張れない人もいたはずである。そのような人は社会の片隅に追いやられるか、淘汰されてきたのが昭和の日本であたかのように見受けられる。
頑張ることで日本の経済成長が実現でき、そのために、我慢も無理もしたかもしれない。その後、バブルがはじけ、その後30年は我慢し、無理をして、デフレの時代を乗り越えて現在がある。過去の棚卸しを終えて、これからの未来に向けての思考を変えていく必要がある。
それが「頑張らない、我慢しない、無理しない」である。元々は私が心臓に持病があり、頑張れない人生を送るためのフレーズであった。頑張っても、頑張らなくても同じ成果を出すためには、考え方の転換が必要になる。頑張りによる苦痛を無くすには、意識的に楽しむようにすればよい。
頑張らないとは怠けることではない。頑張らずに意識して楽しむためには、未来に向けたビジョンと成長が必要になる。目の前の飴やインセンティブではなく、長期的なありたい姿、なりたい姿である。
仕事ではなく働くことを意識する
仕事と働くことの違いは、ある人は「仕事を職業(job)、働くことを行動(work)」と考え、またある人は「仕事は客観的な行為(work)で、働くことは主観的な行為(labor)」と考える人もいる。
より単純に考えると「仕事」は名詞で、「働く」は動詞である。このように考えると「働く」は行動で、「仕事」は目的となり、さらに客観的に共通化された目的が「職業」となる。
例えば、稲を育て米を得るまでの行動は「働く」であり、「仕事」は「米作り」となり、職業は「米生産者」である。自分の仕事を表現するときにどのように説明、表現するかを思い浮かべてほしい。
別の視点で例えると、働く目的はお金で、仕事の目的は社会的意義であり、職業は社会的呼称となる。人生後半戦になるまでには、その時々の状況や環境によって目的も社会的意義も変わり、転職する人もいるだろう。むしろ、転職しないほうが不自然である。
仕事重視の考え方の人は、一生の仕事を選び、転職を敬遠する傾向があるのかもしれない。他方、働くこと重視の考え方の人は、働くことの目的を変えるときには、転職を自在に選択することができる。
人生後半戦は「仕事」ではなく、「働くこと」を意識し、なぜ(何のために)、どのように、どんなことをしたいかを考えてみよう。それが人生後半戦の仕事のあるべき姿になる。
生活ではなく暮らしを意識する
「生活」は英語で「LIFE」である。「LIFE」の意味には、「生活」の他に「人生」と「生命」がある。生活、人生、生命3つの単語は、すべて人間の生涯に関わりがあるが、私にはストップモーションのような静止状態に感じられる。
これら3つの単語は、決して静止状態ではなく、時間と共に常に動いている。「生活」は「LIFE」であるが、「暮らし」は「LIVING」と表すと、毎日の動きが見えてくる。
毎日同じような生活をしているようで、毎日違う生活をしている。なぜなら、毎日、確実に時間は経過し、少しずつ年を重ねているのだから、昨日の自分とは違う1日を送っているはずだ。この1日分の時間経過を忘れてしまっているのかもしれない。
「生活」が静的な響きがあり、「暮らし」が動的だという言葉からの印象だけではなく、「生活」という言葉を使うときには、ある時点を切り取って考えている。
最近ではあまり耳にしなくなった「ワーク・ライフ・バランス」のライフは生活を意味する。ワークとライフは常に均衡状態にあるのではなく、あるときはワークを、またあるときはライフを重視するような、柔軟にバランスをとらなければならないと考える。
人生後半戦は仕事(ワーク)が変わるのだから、生活(ライフ)も変わるだけではなく、バランスの取り方も変わらなければならない。私が職住隣接というライフスタイルを選んだのは、バランス重視の考えを望んでいたからである。
人生のゴールではなくビジョンを意識する
「人生のゴール」とは命の終わりを意味すると考えると、「終活」は人生のゴールを意識した行いである。「終活」が必要な人もいるが、多くの人が毎日意識するのは「生活」であり「暮らし」である。
「生活」と「暮らし」は毎日の繰り返しであり、この繰り返しが「人生」になるという考え方もできる。 酒井雄哉 ・大阿闍梨の言葉、「一日一生」は「一日を一生のように生きよ」という意味である。「生きよ」というのは進行形であることを意識したい。
毎日、何のために生きるのかと考えるのではなく、一度立ち止まって、自分の人生後半戦のビジョンを描いてから毎日を生きてはどうだろうか。そして一度描いたビジョンはそのままにせず、何年かごとに描き直すことも必要である。
ビジョンというのは、自分が考えていることを思いつくままあげる方法もあるが、整理しやすい方法がある。それは「できること、やりたいこと、ありたい姿」のように分類して考える方法である。
これは「できないこと、やりたくないこと、ありたくない姿」のように逆法から考えることで、自分の考えを整理しやすくなる。他にも「得意なこと、時間をかけたこと、お金をかけたこと」などのように分類を広げることもできる。
人生は時間そのものである。止まってもくれないし、止めることもできない。だから、歩きながら考え続けるのではなく、一度は立ち止まって、時間を進みを気にせずに考えることも必要である。
時間がないから効率よく効果を上げる
人生後半戦にはゴールが待っているのは紛れもない事実である。だれしもゴールが訪れるのだが、恐れる必要はない。ゴールを迎えた後は他人任せにするしかないのだ。
一度も転職したことがない人が、初めての退職が定年退職を迎えた時の不安感は、その後も人生が続くから生じるのだ。一度でも転職したことのある人は、転職時の退職の経験を活かすことができる。
人生のゴールは一度しかないので、経験を活かすことはできない。しかし、人生のゴールを意識することで1つだけよいことがある。それは、時間は永遠に続くのではなく、人生は限られた時間であることを意識できるようになるからである。
限られた時間を有効に使うには、1時間を1時間以上に使うようにするかを考えればよい。効率を上げ、効果を大きくすることである。決してせっかちに生きろというのではない。
人生後半戦で大切なことは、今までとは違った働き方、暮らし方を、過去の延長ではなく、「新しい生き方」として考えることである。