メンターに学ぶ人間関係~習うのではなく倣うことで得られる信頼


誰だって最初は答えたを知りたい。成長するにつれて答えより解き方に関心が移り、人生後半戦になれば、問いそのもの価値まで考えならなければならない。

良好な人間関係
「人間関係とは自分と他者の関係」を意味すると、この章の冒頭でも述べた。人間関係を良好に保つ方法が各方面で述べられている。家庭内、学校、職場、仕事、そして社会全体など、それぞれで人間関係がある。
これらすべての人間関係を、どのようなシチュエーションでも保つことはとても難しい。むしろ人間関係を結ぶ相手とそうでない相手を見極め、良好な人間関係ではなく、険悪にならないような人間関係を築くほうが理想的である。
人間には個性があり、その個性を自分自身が意識し、意識的に理想の自分の個性を育むことの方が、良好な人間関係を結ぶことよりもはるかに価値があるのではないだろうか。
自分という個性は、天性という先天的な個性と環境という後天的な個性で形成される。まず「自分」ありきで人間関係を考えるか、「相手」ありきで人間関係を考えるか、自分の考え方の現状を分析することも必要だろう。
さもなければ、未知のことに触れたときに、周囲の人の考えをそのまま受け入れてしまう。ソクラテスの云う「無知の知」を自分に当てはめて考える必要がある。
平等な人間関係
「人間はみな平等である」とよく言われる。これは法の下に平等であり、人間という主の平等としては成り立つが、実際にはすべての人間が異なることから、大量生産される同型のロボットとは異なる。
また「平等ではなく公平である」という言説もあるが、社会はすべての人に対して公平であることを意味している。これもまた、現実は公平ではなく、すべてが不公平と言いかえることもできる。
人はひとりひとりみな違うのだから、公平とは違う処遇を受けることを意味しているからだ。人間関係においても平等や公平な人間関係はあるようで、ない。
人間関係は人と人との違いから生じるのであって、すべての人が同じ意識と同じ身体を持つのであれば、人間関係は必要ない。人間が集団を作るのは生存本能から発生しているのだ。
その集団の中で、特に人間関係を築く能力に優れている人が登場する。そのような人を「メンター」と呼ぶ。最近では組織内で「メンター制度」として指導者や助言者を意味するが、本来は異なる意味がある。
私にとってのメンターとは「導く者、導者」を意味すると考えている。案内人やガイドと違うのは、人間関係の構築がされているか、信頼しているかという点である。
メンターに倣え
組織内で行われるメンター制度は、1対1の関係で指導や助言を行う経験者が多く、特に新人や2、3年目に対して行われることが多い。したがって、経験者や先輩であることが多く、上下関係を拭えない。
本来のメンターは、組織内ではなく、豊富な知識と経験豊かな知性で、広い範囲に渡って話を聞き、適切な会話をしてくれる人が理想的だと考えている。
新人や2、3年目ではなく、むしろ、経営者層こそ、さらなる向上を目指してメンターが必要になっているのではないかと思う。そして人生においても、人生後半戦こそメンターが必要になってきている。
平均寿命が延びるにしたがって、年齢的に人生の未知の領域を経験する人が多くなってくる。未知の領域に向かってのメンターは必ずしも自分より年長者である必要はない。
そして、高齢になれば自分一人でできることは少なくなり、人間関係によって他の人の力を借りなければならない。このときに人間関係力が必要になる。
優れた人間関係力を持つのがメンターであり、そのメンターに習うのではなく、「メンターに倣う」のである。
実在しないメンター
メンターは答えを教えてくれる人でもなければ、答えを出す方法を教えてくれるわけでもない。問題や課題、現状認識を第三者の視点で、わかりやすく話してくれる人である。
このようなメンターの対応は、人間関係に重要なことがすべて含まれており、メンターの人への接し方自体を学ぶ価値がある。これがメンターに習うのでははなく、「メンターに倣う」の意味となる。
人間関係は一方通行ではなく、双方でコミュニケーションを行うことで、人間関係の本質である信頼を築くことができる。メンターに倣うのは、信頼の醸成の仕方である。
また、メンターは実在する人物であるとは限らない。私の場合は書中のメンターが多い。会ったことも、会話したこともない人をメンターとしている。
ただし、私がメンターとする人が、他の人のメンターになるとは言えない。人はそれぞれ「自分」という個性があるので、メンターも異なる。そして自分が変われば、メンターは別の人に代わるかもしれない。
追記:仕事のメンターだけではない
最近ではメンター制度やメンターシップと称して、新人教育の一環として取り入れられている。「メンター」とは仕事のメンターだけではない。本来は人生全般についての導き手を「メンター」と称していたのではないかと思う。
現在使われている「メンター」は、お手本となるロールモデルの役割が大きくなっているような気がする。したがって、仕事のメンターは必ずしも私生活でもメンターにはならない。
私が前述で「実在しないメンター」と述べたのは、メンターの言葉や考え方は実在の人物からでなくても得られるということである。そしてコミュニケーションの姿勢や技法は対面で「習うのではなく、倣うべき価値がある」ということである。
職住隣接では、何もかも一人で行う必要があり、人間関係が疎かになりやすい。人間関係を断ち切るのではなく、良い人間関係を適切な方法で築いていくことが大切である。
これもまた、職住隣接を実際に行ってみて、わかったことの1つである。