友人と知人、その距離感~人生で変化する交流方法

友人と知人、その距離感~人生で変化する交流方法

人生には世代ごとの友人知人がいる。生涯の友人よ呼べる人は少ないのだが、日常で交流のある人が現在の友人知人であることには違いない。

友人と知人

私の友人と知人の合計のピークは40代だったように思う。インターネットが携帯で使えるようになり、薄型ノートパソコンを持ち歩いて仕事をしていたことである。

住所録をシステム手帳から携帯とパソコンに乗り換えた時、簡単にデータの移行ができたので雪だるま式に電話帳の登録数が増えていった。

仕事関係で3000人、プライベートで2000人を登録していた。仕事関係でも、古くからの友人知人も私に聞けば連絡先がわかると、電話帳代わりに私に連絡してきたものだ。

50歳になったとき、人生後半戦に向けて本当に必要な連絡先だけに絞り込んだ。両親の介護をきっかけに仕事の仕方も変え、電話で連絡が取ることが少なくなったのも一因だ。

最も大きな理由は、友人と知人との交流が頻繁でなくなったことである。また、一般的な公官庁、会社、店などの連絡先はインターネットで調べることができたからである。

特に友人と知人から連絡が来ることは少なくなった。こちらから電話をすることはないので、誰から電話がかかってきたかを知るためだけに登録していたようなものだった。

訳あっての友人、縁あっての知人

友人、友達、幼馴染という言い方もあれば、親友、旧知の仲など、その親密度によって呼び方も変わる。良いことも悪いことも知っている、知られている仲間意識が根底にある。「友」と呼ぶには訳があるのだ。

友人と比べて知人にも訳があるのではなく、なんらかのきっかけだけで続いている知り合いである。それでも挨拶するだけではなく連絡先を知っているのが知人である。縁があって知人になった人である。

私が友人と知人が多いのは、「○○の友人、△△の知人」というように前半にカテゴリーやタグがつくことがほとんどである。例えば「車の修理に詳しい友人」というようにである。

これは幼い時からの私の交流術である。インターネットもなく、本を買うお金もなく、友人の知識が私の財産となっていた。前述の「車の修理に詳しい友人」は最初は1人だったが、友人の友人という紹介で増えていった。

友人との関係は、自分が好きなこと、知りたいことの情報交換が主だった。それだけで楽しい時間を送ることができた。情報交換以外のことは意外と知らないことも多かった。

ある程度のお金を支払えるようになると、友人に会うことも少なくなり、本や雑誌などで情報を得るようになった。仕事の情報は本や雑誌だけでは得ることができないので、仕事上の情報を得るための友人が増えていった。

尊敬できる友人

情報を得るために交流を繰り返し、「○○の友人」が増える一方で、名刺交換や同席しただけの知人が増えていった。知人からの連絡をもらうこともあったが、交換する情報がない場合は丁重にお断りした。

友人が増えてくると、2つのタイプに分かれてくる。1つめは相手からのアプローチが頻繁にきて、短時間で分かれるタイプだ。2つめはたまにしかアプローチがないのだが、長時間一緒にいるタイプだ。

2つめのタイプは、長時間一緒にいても苦ではない。いろいろと話している中で、「いいこと言うなー」と思わせる友人もいる。なかでも、「こいつのここが凄い」と言える友人もいる。

さらに、時間が経っても、その凄さは衰えず、たまにしか会わないのだが、凄さが衰えない友人を最近になって尊敬する「親友」と呼べるようになっている。

私にとって、同窓の学友や同期の社会人は、情報交換や遊びを主とした友人や、情報交換だけの知人であった。社会人になったころには、同窓というだけで親しげに話してくる先輩や後輩に閉口したものだ。

今では、ほとんどの情報がインターネットを経由して入手できる。高価な本を買うことで、また著名な方と直接会うことで、貴重な情報にも触れることができる。情報が友人と知人のつながりとなっていたのは過去のことになった。

友人と何を話すか

ほとんどの友人や知人は現在はつながりはない。現在の友人は、たまに会って近況を報告し合う、家族とは別の立場での親密な存在である。単に連絡先を知っているというだけの知人はほとんどいない。

人生後半戦になって気づいたのは、友人とのつながりが濃くなるということだ。たまに会うだけだが、丸1日か2日に渡って、近況とこれからのことを話す。過去の思い出話はわずかである。

旧知の仲だと思い出話に花が咲くのが常かもしれないが、そのようなときは聞き役に徹している。現在やこれからの面白そうな話には身を乗り出して話に参加している。

ただし、年が10歳以上年離れた友人とは聞き役に徹することはない。むしろ問いかけることが多い。情報そのものはネット経由で調べられるので、そのきっかけを得るには若い世代と話すのが面白い。

経済格差や情報格差などの社会問題を「格差」として表現することが多いが、私にとっては友人格差こそ人間関係に大きな影響を与えているのではないかと思う。

人口の多い世代では、当然のように同年代の友人が多いが、人口減少の影響を受けている世代にとっては、同世代という意識は薄れ、世代を問わずに話ができるようになっている。

職住隣接での友人とは

職住隣接と友人との交流に直接的な関係があるのは、交流方法が大きく変わったことである。新型コロナ禍を境にして、自宅で仕事をすることと、インターネット上で仕事をすることが日常会話でも理解されるようになった。

インターネットのプラットフォーム、ハード、ソフト、アプリ、そしてこれらを利用する人口が増えたことが、仕事と生活に大きな影響を与えた。そして人間関係の交流方法も例外ではない。

時代が変わっても基本的な人間関係は個人の意志によるものである。これを強制することはできない。しかし、人間関係の交流方法が変わったという認識は持つべきだろう。

インターネット、キャッシュレス、マイナンバーなどの良し悪しを議論するのではなく、使いたくない人は使わなければいいと思う。時代は変わり、現実も変わっている。

現実を受け入れられる人を友人として迎え入れたいし、そのような人にとっては職住隣接を理解しやすいだろう。必然的に、人生後半戦の友人は選ぶことになっている。