家族とのつながり~自分を知り、縁と絆を見つめ直す

家族とのつながり~自分を知り、縁と絆を見つめ直す

家族は与えられるものではなく、つくり、育てて、得られるもの。人それぞれで家族とのかかわり方が違ってもいいのでは?

職住隣接を行うようになって、仕事と生活のライフスタイルに馴染んだにもかかわらず、なにか落ち着かない気がしていた。それが人間関係の変化だと気付くまでにしばらく時間がかかった。

自宅に居ながら、仕事と生活を「場」と「時間」を軸にして切り替えることで、ライフスタイルとして最適な環境を得たと思っていた。ところが人間関係は相手がいるので、私だけが変わっても相手が変わらなければうまくいかなかったのだ。

人間関係には「自分」を軸として、家族、友人知人、仕事関係、地域のコミュニティ、社会的な関係と5つの関係性がある。それぞれどのように変わったか、変えたかをお話ししよう。

ただし、人間関係には必ず「相手」がいるので細かなことはお話しできないし、人それぞれ生い立ちや環境や現在の状況が異なるので、自分のことが中心になるのは理解していただきたい。

自分が知っている「自分」

人間関係を「自分」を軸として考える他に、「相手(他人)」を軸にして考える方法がある。対人関係のモデルとして「ジョハリの窓」がある。詳しくは下記のリンク先などを参考にして欲しい。

このモデルには、自分が知っている「自分」と相手が知っている「自分」という考え方がある。同じ「自分」であるにもかかわらず、両方の自分が一致しているとは限らない。

人間関係を考えるには、まず、自分が「相手」からどう思われているかよりも、自分が「自分」についてどう思っているかを、客観的に表現することから始める必要がある。

このような自己分析は難しいことではないが、あらためて行うと、自分が思っている「自分」ではなく、成りたい「自分」であったり、相手から思われたい「自分」であったりする。

「自分」が定まらないことには、人間関係を考えても、その時その時で異なる「自分」になっているのかもしれない。ということは、「自分」を軸にした人間関係を考えることはできないことになる。

多角的な自己分析でなくても、ある側面だけでもいいので自分らしい「自分」、軸にできるような「自分」を考え、言葉にしてみてはどうだろうか。

家族が知っている「自分」

「家族」の定義を、配偶者と子、父母、兄弟姉妹とするとイメージしやすい。その他の血縁者や法的な分類、家族同様という人たちは、いったん考えずに家族との関係を考えてみたい。

族が一番身近な存在で「自分」のことを一番よく知っているというのは、同居している時間が長いときにはそうであっても、同居しなくなればよく知っているとは言えない。

2020年の国勢調査では単独世帯が全世帯の40%になり、2022年の国民生活基礎調査では65歳以上の者がいる世帯の31%が単独世帯となっている。家族が一緒に暮らすという形態は減少しているのが現実だ。

このような状況下での家族のつながりとは、配偶者と血縁以外の条件として、家族を支配したり、依存したりする関係ではなくなっている。もっと人間的な家族の幸せを考えられるかどうかが家族のつながりの証になるのではないだろうか。

家族が幸せになるためには、同居という選択がいいのか、独居という選択がいいのかも考えなければならない。家族だから話し合いで円満に考えられるというとは限らない。

本当の家族の幸せは、それぞれの立場に立って考え、理解し、受け止めることが家族関係にとっては大切になっていると、私は考えている。

家族の縁と絆

「家族」には法的な扶養義務や保護義務があり、また血族間の制約もある。家制度が長く続いたので、「家」を中心にした「族」が、未だに残っていると考えてもいい。実際には世帯や家庭という単位が一般的になっている。

つまり、「家族」は形式上は社会的な認識として浸透しているが、家族に必要な「縁」や「絆」は必ずしも家族単位では構成されていない。むしろ個人単位でのつながりが実際の「縁」や「絆」となっている。

家族の「縁」は血族が元になり、血縁が代々続いていることは疑う余地はない。人口が増えれば代々の血族は増えるのは当然であり民族を構成している。だからと言って日本民族を家族と考える人はいない。

一方の家族の「絆」は、意図的に行わなければ絆は生まれない。意図的な絆とは、コミュニケーションに他ならない。同一言語による言葉でのコミュニケーションは、家族にとって不可欠になる。

家族間の会話によるコミュニケーションが、家族の「縁」と「絆」を維持する最低限の条件になる。会話を交わさない家族は、家族としての血縁はあっても「絆」は生まれない。

冒頭に「自分」について考えることを述べたが、「家族」も同じように客観的に表現することで、誰が家族で、誰が家族でないのかを判断することができる。

職住隣接における家族

本格的に職住隣接を行うにあたり、私は家族に相談した。法的には配偶者と一親等が相続の対象になるし、扶養義務も二親等までになる。配偶者、父母と子、兄弟姉妹と祖父母と孫が対象になる。

この中で経済的に独立していない、または扶養されていない者はいないので、あとはコミュニケーションをどのくらい取っているかが相談する相手になる。該当者は仕事をしているので、個別に相談した。

相談内容は結論が出ることもあれば、継続して検討しなければならないこともある。家族のひとりひとりが共通の反応は「話してくれてよかった」と言ってくれたことだった。

それぞれが自分の家庭がある、そして家庭という共同体ではない家族がいるということがわかってくれたようだ。家族と暮らすことが家族の幸せを考えることではない。

家族としてのコミュニケーションをとれることが重要なのだとあらためて気づいた。今では、テキストメッセージやビデオでコミュニケーションを取ることが多い。

自分からコミュニケーションを取らなくなったり、取れなくならない限りは自分から家族の「縁」と「絆」を切ることはないだろう。家族との関係はコミュニケーションに尽きる。