心筋梗塞がもたらした転機~レジリエンスが教えてくれた健康管理

心筋梗塞がもたらした転機~レジリエンスが教えてくれた健康管理

10代からの持病との付き合い

私は10代後半に入院して以来、年に1回の検査と3ヵ月に1回の投薬を受けていた。常々、体調には注意していたが、外見からはわからないので、聞かれることがない限りは特に説明はしていなかった。

人生後半戦に入り、介護が終了したのと機を同じくして心筋梗塞を発症してしまった。一命はとりとめたものの、残りの人生をどのように生きていくかを真剣に考えることになった。

心身にストレスがかからない生活を行うためには、仕事においてもストレス管理を行わなければならない。私にとっての健康管理とは「頑張らない、我慢しない、無理しない」ようにすることである。

日本人の考え方には、このように振る舞うことは怠惰の証のように思われる節があるが、私は残りの人生をこの呪文のような言葉を忘れないように健康管理をおこなって生きていくつもりである。

生活の中の健康管理

学生時代に病気が発覚してから、私の生活は、日常生活と学校生活の一部となった。学校生活では、体育系の活動はできなかったことや、日常生活では食事制限があったことがつらい思い出として残っている。

社会人になってからは、望むような仕事につけなかったことや、母親の介護のために仕事にも制限や支障が出たことが、自分では気づかないストレスになっていたのだと思う。

学生時代は、学校や日常の生活の一部に健康管理があり(図1)、社会人になってからは仕事と生活の一部に健康管理が残っていたものの、仕事と生活の土台の上に介護が乗っていたのである(図2)

現在は、健康管理という土台の上に仕事と生活が乗っている(図3)。そして、いつかは健康管理が要介護に変わり、仕事と生活は消えてしまうかもしれない(図4)。

仕事と生活の関係

健康管理という日々の習慣

健康管理にはいろいろな方法がある。例えば、「栄養管理、運動管理、睡眠管理」の大きな分類に沿って考える方法がある。栄養管理であればカロリーや塩分量、運動管理であれば歩行数、睡眠管理であれば睡眠時間などがよく知られている。

この他にも医学的な検査で、血糖値やγ-GTPなどでの数値管理や、体重や血圧といった家庭での計測による健康管理の方法もある。これらは一般的な基準値と比較して管理されている。

これらの管理も重要であるが、実生活で管理を厳密に行うことが辛くなることは誰でも経験する。私も心臓リハビリで1日の塩分摂取量は6g以下と指導されているし、適度に運動することも勧められている。

また、飲酒や喫煙、激しい運動など禁忌事項も決められている場合もある。このような厳密な健康管理をストレスなく守ることが私にとっては重要だった。ポイントは「ストレスなく」である。

具体的な方法はこれからの記事で紹介するが、単純化することと許容範囲をうまく利用することとでストレスを最小限にした健康管理を可能にすることができた。

単純化とパターン化の工夫

健康管理の範囲は広く、すべてを単純化することは難しい。その中で、毎日同じことを繰り返す習慣の単純化が効果がある。例えば毎食ごとの塩分量の計算はとても煩わしい。

そこで朝食は毎日同じメニュー、しかし飽きないようにした。トースト、卵、鶏むね肉、ブロッコリー、トマトなどの野菜、コーヒー、これで塩分0.6gなので毎食の塩分計算が1つ減る。

食事はすべて写真に撮り、現在はiPhoneのジャーナルアプリに記録している。心臓リハビリの担当者に見せるのと、記録することで自制心を働かすことができる。記録こそ健康管理の要である。

運動はウォーキング中心で、リストバンドタイプの健康トラッカー「Fitbit Inspire3」を使っている。1日の歩行数、脈拍、睡眠時間を管理している。自動記録されるのと電池が1週間持つので気に入っている。

健康管理は単純化し、パターン化することで、記録も容易になる。自動記録や写真を撮ることで手軽に記録できる。レコーディングダイエットと同じ要領である。

ストレスとの向き合い方

ストレス管理は、精神的なストレスと心理的なストレスに分けて許容範囲を作っている。性格にもよるが、几帳面でまじめなタイプほどストレスが溜まると言われるが、私には当てはまらない。

ただ、私は集中しすぎる傾向があるので、なんでも区切りの良いところまで続けてしまう。休憩をとらずに続けたり、失敗したりすると何度でも繰り返したりする。これを止めた。

タスク管理を45分の集中と15分の休憩をサイクル化した。実際には45分も集中できないし、区切りが悪く休憩が15分以下になることもある。ただし、この時間配分は集中と休憩のそれぞれに許容範囲があるので、多少のずれは気にしない。

精神的ストレスとは想定通りに進められないときに生じ、心理的ストレスとは進められないことに感情的になると生じる。つまり、許容範囲内であれば、想定通りでなくてもストレスが生じないので、心理的にもストレスは生じない。

これは自分自身のこじつけかもしれないが、「頑張らない、我慢しない、無理しない」という考え方ができるようになった。

人生後半戦はレジリエンスを活かす

心理学に「レジリエンス」という用語があり、ここ数年よく耳にするようになった。最初にこの言葉を目にしたときには「耐久力、忍耐力」と同じだと思っていた。

実際には「回復力、復元力、再起力、弾力」などの意味でも使われ、日本でいう根性論とは一線を画している。私にとってのレジリエンスとは「頑張らない、我慢しない、無理しない」ようにするための方法である。

それが、単純化と許容範囲であり、頑張らなくてもできる、我慢しなくてもできる、無理しなくてもできるという「仕組み化」である。このような仕組みにしなくても、すでにレジリエンスを身に付けている人もいるだろう。

人生後半戦になれば、レジリエンスを自然と身に付けることができると思ってはいけない。むしろ、頑張る、我慢する、無理をするを多用している気がする。それは、時代が学ばせたに他ならない。

かつての日本の経済成長はこのような、努力、忍耐力、根性で実現したかもしれない。しかし、現実は、そのような力では変わらないほど時代が変わったのだ。

もしかすると、時代を正しく認識する力、新しい生き方を選択する力こそが、人生後半戦で最も必要なのかもしれない。

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