3人のボート乗りの話~雇った男が得たものとは
昔、なにかの講演会で聞いた話ですが、ボート競技に3人乗りというのはないので、おそらく創作した話ではないかと思います
「第3章 心理的な仕事スペース~パフォーマンスを最大限に発揮できる環境づくり」で「3人のレンガ職人の話」についてお話しした。そのときに思い出したもう1つの話があるので、番外編としてお話ししよう。
「3人のレンガ職人の話」再掲
3人のレンガ職人の話
ある旅人が3人のレンガ職人に次のように尋ねた。
「あなたは何をしているのですか?」
1人めのレンガ職人は「レンガを積んでいる」と答えた。
2人めのレンガ職人は「レンガを積んで生活費を稼いでいる」と答えた。
3人めのレンガ職人は「多くの人のために大聖堂を作っているのだ」と答えた。
脚色はいろいろあるが、おおよそこのような話である。
3人めのレンガ職人が仕事をし、1人めと2人めのレンガ職人は作業をしていると説かれ、「仕事は目的をもって行わなければならない」という結論に導かれる。
私も最初に聞いた時にはなるほどと思った。でも今ではそうは思わない。1人めのレンガ職人が一番速くレンガを積み、2人めのレンガ職人が一番丁寧にレンガを積み、3人めは速さも丁寧さもなかったとすると、どうだろうか。
個人の仕事としては1人めか2人めが評価され、3人めは評価されないだろう。ところが、最初の話では3人めが最も評価されている。では3人のチームとして見たときはどうだろうか。
それぞれが自分の仕事をしている、チームワークがよいと評価されるかもしれない。集団と個人、仕事と作業の違いは、どこに焦点をあてるかによって異なるのだ。
3人のボート乗りの話
レンガ職人の話で抜けているのは、誰がこの3人を雇ったかということだ。肝心の雇い主がどんな思いでレンガ積みをしているのかが最も重要なのだが、この話には出てこない。
これからお話しする「3人のボート乗りの話」には雇い主が出てくる。その雇い主は何を得たのか、最後まで読んでいただきたい。
ボート競走の準備
毎年ある村で3人乗りのボート競走の大会が行なわれていた。優勝すれば1年分の収入と同じ額の賞金がもらえるので、村中の男たちが仕事をせずにボート競走の練習にあけくれていた。
そんななか、毎年のように参加はするが一度も優勝したことがない男がいた。真面目で、働き者で、妻と子もいるのだが、遊びもせず、目立ちもせず、静かに暮らしていた。
大会が近づいてきたある日、子どもに「ボート競走で優勝して」とせがまれたのだが、参加する男たちを見てどうも勝てる気がしない。そこで一計を案じて、ボート乗りを3人雇った。
1人めは筋骨隆々の力自慢の男、2人めは身軽で器用さが自慢の男、3人めはやはり身軽で目が良い女だった。3人乗りボートの競争だが、漕ぎ手の人数に制限はなかった。
1人めの男は中央に乗り力の限り漕ぐ役割、2人めの男は船首で漕ぎ、細かな方向修正を行う役割だ。3人めの女は漕ぎ手が背中を向けて漕いでいるので、船尾で川の流れを見て方向指示を行う役割として雇われた。
男は川の流れの様子と競争相手の癖を知り尽くしていたので、3人めの女にそのすべてを教えた。1週間ほど練習して大会に臨むことになった。
最初にスタートしたのは、ゴールは?
いよいよ大会当日、ボートは勢いよくスタートを切った。トップに立ったのは力強い男が3人乗ったボートだったが、真っすぐには進めなかった。次にトップに立ったのは、2人が横に並んで漕ぐ方式をとったボートだったが、中盤になるにつれ漕ぐピッチが合わなく後れを取るようになった。
その後も、次々と疲れと流れにより順位は入れ替わり、男が雇った3人がトップに立ったのだが、最後の急流でボートが岩にぶつかりそうになったそのとき、2番めの男が岩に飛び乗り、ボートを岩から遠ざけ、また乗り移るという荒業をやってのけた。
そしてゴール目前では、女が揺れるボートの上に立ち、もっとも短い距離で進むように的確な指示を行って、ゴールに突き進んだ。3人を雇った男も、男の家族も、その様子を見て大喜びした。ところが、3人を雇った男がボートに乗っていないことが発覚した。
優勝の行方は、賞金は誰が?
大会審査委員会での協議の結果、3人を雇った男のボートが優勝と認められた。優勝賞金は雇われた3人で山分けされた。雇った男は優勝賞金をもらうことはなかった。ルールには「優勝賞金はボートに支払われる」となっていたのだ。
では、3人を雇った男は何のために自分のボートを提供したのだろうか。
まず、男は大会のルールをよく読んだ。優勝賞金はボートに乗っていた者に支払われるとは書いておらず、「ボートに支払われる」と書いてあったのだ。
また、「ボートの持ち主がボートに乗らなければならない」とは書いていなかったのだ。つまり、ルール上は、優勝するのは「ボート」であって、ボートの持ち主でも漕ぎ手でもないのだ。
男の目的が、子供の喜ぶ顔が見たかったからなのか、それとも、優勝という名誉を得たかったのかはわからないが、ボートの競争に勝つことで得ることはできたのだろう。
2つの話から何を得られるのか
仕事も同じように考えることができる。チームで働くときには、個人の能力と集団としての能力が同じとは限らない。また、集団をつくるには、リーダーとマネージャーが不可欠だということだ。
では、職住隣接のように1人で働く場合は、どのように考えたらよいのだろうか。それは仕事の種類や規模にもよるが、重要なのは「自分が最も力を発揮できるのは、いつ、どこで、だれと」ということになる。
「なぜ、どのように、なにを」も考えることも大切だが、力を発揮できない仕事を続けることに意味はない。1人で仕事を行う場合は、これらの要素に加えて「いつ、どこで、だれと」を考える必要がある。
適材適所と適所適材
1人で仕事を行う場合は適材適所という考え方ではなく、適所適材という考え方で仕事を行う必要がある。適材適所は「才能のある人材を活かせるポジションにつける」という考え方だが、適所適材は「既存のポジションに適した才能の人をつける」という考え方だ。
職住隣接の場合、まず仕事(ポジション)があり、その仕事に対して自分の才能が適しているかを判断しなければならない。
次に、自分が全体の仕事のどの部分を行うことができるのかを把握し、その仕事に対して自分の才能が最も発揮できる時間と場所を見つけ出す必要がある。
もし、その仕事に自分の才能が適していないと判断した場合は、その仕事を受けるべきではない。
後日、男から聞いたこと
後日、男に「ボート競走の大会で何を得たのか?」と尋ねたところ、「学びだよ、学ぶことの大切さだ。そして、学んだことを活かすために何が必要かを考えることだ」という答えが返ってきた。
この言葉は、まさに職住隣接での働き方の本質を表している。自分の強みを知り、それを最大限に活かせる環境を作り出す。そして、その過程で得られる学びを次につなげていく。それこそが、職住隣接という働き方の真の価値なのかもしれない。