88 仕事は生活の一部~生活は人生の一部

番外編 索引記事

漢字にはそれぞれの語源や意味があります。私たちが使う「仕事」は漢字の意味からは想像できない本質的な

仕事は原始の時代から

人間に限らず、生まれた時から生きるために活動を行うのが、いわゆる生存活動である。この生存活動を仕事とは言わない。ときおり耳にする「生きるために仕事をする」とはどういう意味を持つのだろうか。

原始時代から人間は集団で生活し、集団での生存活動のために分業を行ってきた。それは、生存エネルギーとしての食料や水を得ること、そして自然環境や外敵から身を守り安全を確保するための活動である。

そして、これら一つひとつの分業が「働く」ことであり、やがて集団の中で特定の分業を担うことが「仕事」として、互いに認めるようになったのではないだろうか。決して文字から読み取れる「誰かに仕える事」ではない。

集団がやがて大きくなり、物々交換から交易が始まるようになると、専属的な分業を集団間で行うようになり、対価がその仲立ちをするようになった。こうして、分業は「労働」となり、対価を得るための活動へと変わっていった。

この考え方は、現在でも仕事を行うときに、「仕事の意味や目的」として、よく使われる。ただこれだけでは、現代の仕事についての説明は成り立たない。

対価を求める仕事の理由

世界人口が80億人を超えている現代でも、飢餓人口が7億人を超えている事実から、生きるために働かなければならない人々がいることは確かである。

その一方で、名声や利益、功罪を求めて働いている人もいれば、宗教によっては労働は贖罪のためと考える人もいる。日本での労働観は神々の恩恵を受けることだと考える人もいる。

どのような労働観を持とうとも、人は皆、仕事を行う理由を持つように教えを受けている。それは法律や教育だけではなく、より深い伝統やDNAによるものかもしれない。

仕事も対価も無限ではない。古い仕事は淘汰され、価値のない対価も淘汰されていく。これからの社会に必要なのは、仕事の意味や理由ではなく、生活の意味や理由である。

仕事は本来、生活の中の分業として意味を持って生まれた。その成り立ちを忘れ、生活そのものの意味や理由を考えずに、仕事にだけ後から理由を付けても、その場しのぎの意味はやがて淘汰されてしまうだろう。

人生を生活と仕事に分けない

人間は考えることによって進化し、考えを行動に移すことで文明と文化を発展させてきた。現代では、この文明と文化を謳歌し、さらに高めようとする人もいれば、貶めようとする人もいる。

この違いは、なぜ生まれるのだろうか。目の前の仕事や生活だけを考えている人は、文明と文化の利点だけを求め、欠点を非難する。目の前だけでなく、少し先の仕事や生活を考える人は、利点に感謝し、欠点を改めようとする。

生活も仕事も人生の一部だと考える人は、より良い生活と仕事の組み合わせを考え、工夫し、自分の人生へ投影する。生活に必要な対価だけではなく、人生に必要な対価を見つけようとする。

この違いが、すべての人の人生の違いになる。そして、人生に必要な対価は仕事だけではなく、読書やスポーツ、旅の中でも見つけることができる。人生に必要なのは、生きることと考えること、そして実現するために一歩踏み出すことだろう。

私たち人間が原始の時代から続けてきたように。